「寄せ書き日の丸」返還運動が拓く日米の未来 米国から日本の遺族へ、「旗への思い」共有

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ところが2007年、思いもよらない一本の電話が鳴った。そしてその電話から数日後、小さな箱に入って届けられたのは、寄せ書きがされた「日の丸」だった。それは紛れもなく、祖父が出征した時に持っていったものだった。しかも、1945年の祖父の死から62年の歳月を経て敬子さんが手にしたこの旗は、カナダで見つかったということを聞き、さらに驚いた。

「なぜカナダから戻ったのか」。

この疑問が、敬子さんが夫のレックスさんと日の丸返還活動を始めるきっかけとなった。戦後に生まれ、平和な時代に国際結婚をした二人。日本とアメリカ、愛する二つの国。「何か自分たちにできることはないか」。いろいろと調べるうちに、二人は、多くの日の丸が、実は海を超えて海外に多数存在しているという事実を知ることになったのである。

「心のよりどころ」と「敵の象徴」の大きな違い

日本兵たちが戦地にもっていった「旗」は、いわば「日本人の精神性」を象徴するような独自のものだったと言える。旗に寄せ書きをすることによって、家族や親せきだけでなく友人や近所に住む村の人々などが、それぞれ「思いを託す」という習慣は、通常西洋には存在しない。

もともと西洋での戦地における「旗」には、軍隊を識別し、交戦を先導するための役割があった。兵士たちは味方の旗に続き敵を攻撃し、相手の旗を攻撃目標にした。そのような歴史的背景から、敵軍の旗を奪い取ることは戦争における「手柄」の中でも、最高の業績とみなされるようになったのだ。

事実、アメリカの南北戦争(1861-1865)では、戦時に授与された1520の名誉勲章のうち467個が、敵の旗を奪い取ったか、または味方の旗を勇敢に守った兵士へ授与されたという記録が残っている。20世紀の第二次世界大戦と南北戦争では、戦争のあり方自体も大きく変わったとはいうものの、兵士にとって敵の「旗」を持ち帰るという行為が、名誉の象徴という部分は変わらなかった。

そのため、日本の習慣を知る由もない連合軍の兵士にとって、「寄せ書き日の丸」は、いわば夢のような戦利品になった。日本兵の身につけていた軍服の中に丁寧に折りたたまれた日の丸を見つけると、兵士たちはこぞってそれを自分の国に持ち帰ったのだ。寄せ書きにどんな思いが綴られているのかもわからない兵士たちにとっては、それが愛する誰かの思いが託された、とても個人的で重要なものであるという認識を、持つことはほとんどなかったのだ。

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