「道長や皇子を呪う」恐ろしすぎる事件の"黒幕" 内裏で呪いの札が見つかる、犯人は一体誰か
定子は一条天皇の中宮となったため、外祖父である高階成忠の地位も上昇、従二位まで出世します。
しかし、道隆は病没し、その子・伊周と隆家は、道長との政争に敗れ、没落。定子も1001年に亡くなってしまいます。道隆を祖とする関白家の衰退に、高階成忠や娘・貴子も心を痛めたことでしょう。
ちなみに、高階成忠の動向を『栄花物語』から見ていくと興味深いことが判明します。
娘の夫の関白・藤原道隆が飲水の病(糖尿病)となり、衰弱していたとき、出家していた成忠は「いろいろと心配して、祈祷を行っていた」そうです。北の方、つまり貴子も、あらゆる手を尽くしたとのこと。夫の病が平癒するよう、僧侶に祈祷を依頼することもあったのでしょう。
ところが、祈りの甲斐なく、道隆は死去。道隆の葬送が行われますが、高階成忠はそれにも加わらずに、あることを行っていました。高僧たちを集めて、道隆の子・伊周の執政が続くことをひたすら祈らせていたのです。
他人に祈らせるだけでなく、自らも、額に手を当てて、昼夜、祈祷したとのこと。しかしその甲斐もなく、伊周の執政が続くことはありませんでした。ほどなく、道隆の弟の藤原道兼が関白となったからです。
伊周は「祈祷を怠るな」と命じる
伊周はその直前、権力が手中からこぼれ落ちるのを避けるためなのか、高階成忠に「祈祷を怠るな」と命じていました。命を受けて、高階成忠はまたもや祈祷を行います。しかし、祈りが届くことはなかったのです。高階成忠は「何事も天命」と言っていますが、この結果をどう受け止めたのでしょうか。
さて、関白に就任した道兼ですが、病にかかり、すぐに亡くなってしまいます。病で亡くなったのですが、伊周は、高階成忠にまたもや祈祷を行わせていたようです。
これまで高階成忠が行っていたのは、道隆の病気平癒や伊周の執政継続など、いわば前向き(積極的)な祈祷でした。ところが、今回は道兼の死を望む呪詛を行っていたのでした。その後、高階成忠は出世していく道長の権力失墜を願う呪詛も行っていたようですが、失敗に終わります。
995年には、道長を呪うため、高階成忠が邸に法師と陰陽師を呼んでいたことが発覚します。
道長呪詛は、伊周が命じたものだったようです。成忠による一連の祈祷が行われる以前、『栄花物語』は成忠のことを「年老いてはいるが、才学は深い。しかし、性質はひねくれていた」と記しています。高階成忠の異様さが際立ちますが、そんな高階成忠も長徳4(998)年に没します。
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