小池都知事の学歴詐称問題の裏にある国際問題 第4次中東戦争とオイルショックの時代

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『東大ニセ学部―虚像と虚栄の記録』(桑原宗一郎著、講談社、1969年)という本がある。そこには、東京大学生になりすまし卒業までしてしまった例が書かれている。これはすべて実際にあった話をまとめたものだという。

気軽に女性にもてるために偽ったものから、受験失敗の苦労から勝手に学生になったものまで、そして助教授になりすました狂人までいろいろと出てくる。東大ブランドの借用だけでなく、それによって就職を得たものまでいるからおそろしい。

 

日本は学歴偏重社会である、もっと正確にいうと大学のブランド偏重社会である。有名大学の名前さえ出せば一生楽に暮らせる社会ともいえる。有名大学に入学した18歳の学力で、一生食っていける社会など日本以外にはないと思われる。

 

海外では大学歴ではなく学位重視

海外で学歴の高さというのは、どの大学を出たかではなく、大学院の修士、博士といった高度な知識と学位を持っているかである。在学中に外交官試験にパスし、東京大学を中退した外交官が海外で落ち込むのは、赴任先で海外の外交官が博士号を持っていたりする場合だ。

不思議なことに、日本では東大卒で外交官になるより、中退でなったほうが優秀だとされるのだが、世界では大学院までいったほうが能力が高いとされている。

大学という世界に私も40年も暮らしてきたのだが、国によって大学がまちまちであることをずいぶん経験してきた。それは卒業ということにもいえる。

日本は、入学すればよほどのことがない限り卒業できる。だからこそ入学試験がすべてだといってもいいかもしれない。

大学入試の試験科目として全員に哲学の試験を課すフランスの入試問題は、4時間2問の論文形式である。日本人の高校生は哲学など無視するから、おそらくだれも解けまい。もっともバカロレアの合格率は80%を超えているので、答案の質のほうは疑問であるが。

バカロレアに通ればどこでも一応行けるので、医学部などは低学年でバサバサと落とす。日本では医学部に入学したというだけで優秀だということになる、フランスでは何の意味もない。

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