開発進むJR駅に負けない、「阪神芦屋駅」の底力 駅周辺は散策に最適、谷崎潤一郎「細雪」の舞台
1987年の国鉄民営化後、JR芦屋駅の乗降客数が増加に転じた。きっかけのひとつとなったのがJR芦屋駅北側の再開発である。芦屋市は1975年に「国鉄芦屋駅周辺環境再開発基本計画」を策定。1980年代から1990年代前半にかけて、駅北側に商業施設「ラポルテ」、集合住宅等が次々と建設され、駅前広場も整備された。東京読売巨人軍の定宿である「竹園旅館」が「ホテル竹園」に生まれ変わったのもこの頃である。JR芦屋駅前は阪神間を代表するショッピングセンターになったのだ。この余波を受け、阪神芦屋駅の乗降客数は減少に転じた。
芦屋市はJRに続き阪神芦屋駅北側の再開発を検討していたが、1995年に発生した阪神淡路大震災により計画は吹き飛んでしまった。現在、市はJR芦屋駅南側の再開発計画に注力している。芦屋市の担当者によると「現時点で阪神芦屋駅周辺において、JR芦屋駅南側のような再開発計画はない」と述べつつも、「阪神芦屋駅周辺は多様な要素が集まる市の重要拠点」という認識を示した。
戦前文化の面影残る駅周辺
JR芦屋駅は市のショッピングセンターとしての役割を果たす一方、阪神芦屋駅は昔ながらの店舗もあり、庶民的な山手の街という雰囲気を残す。散歩にぴったりな駅ともいえ、単なる阪神間の中間主要駅として片づけるにはもったいないくらいだ。
まず、駅ホームの下には六甲山から大阪湾まで市内を横断する芦屋川が流れる。芦屋川沿いには松並木が並び、ところどころにシックな洋風建築物が建つ。阪神間らしい文化的景観を形成し、2012年には芦屋川自体が芦屋市の指定文化財に指定された。一時期はパリのセーヌ川になぞらえ、「芦屋川を世界遺産に」という声もあったくらいだ。
また、芦屋川は谷崎潤一郎の『細雪』の舞台でもあり、川沿いには「細雪の碑」がある。谷崎潤一郎の足跡を学べる谷崎潤一郎記念館や谷崎が一時的に住んでいた富田砕花旧居も阪神芦屋駅から近い。ちなみに、1936年から1943年まで谷崎潤一郎が居住していた倚松庵は3駅西隣の魚崎駅が近い。
駅の北側に出ると、すぐに芦屋警察署が現れる。芦屋警察署は1927年に建てられたロマネスク様式の建築物であり、長年にわたり芦屋市のランドマークとして市民に親しまれてきた。正面玄関には夜間警察を象徴するミミズクの彫刻がある。阪神淡路大震災を経て、立て替えの話も持ち上がったが、最終的に旧庁舎の一部と増築部を組み合わせる形で生き残った。
駅東側には旧芦屋郵便局電話事務室がある。こちらは1929年に竣工し、外装はネオルネサンス様式となっている。2005年からは結婚式場・レストラン「芦屋モノリス」に生まれ変わり、2017年に国の登録有形文化財に指定されている。
最後に阪神芦屋駅自体は阪神本線では残り少なくなった地下に改札を持った地上駅だ。阪神本線はすでに立体化率が95%にもなり、阪神芦屋駅自体も昭和の阪神電車を伝える貴重な存在となっていくだろう。昭和の阪神間を色濃く残す駅、それが阪神芦屋駅なのである。
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