弁護士界の"細かすぎる派閥"はこう生まれた 東京3会に16会派、起源は126年前の派閥抗争

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1弁は東弁と異なり、どの会派もホームページを持たず、歴史はもちろん、活動状況も現執行部の顔ぶれも外形的にはわからない。会派活動に熱心な弁護士同士は、弁護士会が違っても横の連絡が密なので、今回はその人脈から執行部を務める弁護士を聞き、アプローチした。

大事務所は会派活動に消極的

1弁の会派は厳格な名簿管理もしておらず、現在の全期会の所属人数は現執行部によれば300~400人だが、「実際には600以上いるはず」(全期会所属のベテラン弁護士)だという。1弁全体の弁護士数は約4600人。第一倶楽部は「公表しない」方針で新緑会は約250人ということだが、1弁全体の入会率は「ざっと3割程度」(全期会所属の中堅クラスの弁護士)と、東弁に比べるとかなり低い。

4大事務所のうち西村あさひ、長島・大野・常松は1弁の所属者が中心だが、大事務所の弁護士は基本的に会派活動には熱心ではないことも、入会率の低さに少なからず影響を与えているのだろう。

2弁もホームページを持っているのは少数派閥の清友会のみ。しかも「複数会派に入っていたり、どこの会派に入っているのか自覚がない会員が多く、会員名簿すら整備出来ていない」(紫水会所属の弁護士)という。

こちらも会派が誕生したのは戦後だ。現在は紫水会、全友会、五月会、日比谷倶楽部が4大会派とされており、このうちもっとも古い五月会の前身と、今では少数会派となっている日本法曹倶楽部が発足したのが1949年前後。発足のきっかけは2弁の会長選挙だったようで、1955年に五月会から日比谷倶楽部と清友会が分離独立、1975年に清友会から新風会が独立した格好だ。

全友会は五月会、日本法曹倶楽部とはまったく別に、左翼系の革新派弁護士が1970年に創設。現在最大会派と言われる紫水会は、1980年に全友会から分離独立している。

1弁以上に所属人数の把握が出来ていないので、正確なところは不明だが、入会率は3~4割程度という説が有力だ。ちなみに4大事務所ではアンダーソン・毛利・友常と森・濱田松本が2弁中心である。

大阪では最大会派が交代

大阪では1893年に弁護士法が施行されてすぐ、現在の会派の源流となる組織が誕生しており、その後分裂と統合、新たな会派の誕生などが繰り返された。その結果、現在の会派数は7つになっている。

大阪は東弁同様、人数管理が厳格で、7会派のうち法友倶楽部と法曹同志会を除く5会派がホームページを有している。

最大会派の友新会は7会派の中ではもっとも歴史が長く、1899年の設立。残る6会派のうち、春秋会、五月会以外の4会派も歴史があり、すべて戦前に誕生している。春秋会は1958年に友新会から分離独立し、数年前までは大阪弁護士会最大の会派だった。五月会は春秋会から1971年に分離独立して誕生している。

近年、友新会の人数が春秋会の人数を上回るようになったのは、「春秋会の所属会員は個人対象の一般民事を扱う零細規模の事務所が多いのに対し、友新会の所属会員の事務所は、損害保険会社から交通事故関連の処理を請け負う業務が主流の事務所が多く、新人採用に積極的な分、会員数の伸びが大きい」(大阪弁護士会所属のベテラン弁護士)ためだそうだ。

ちなみに大阪は会派入会率が85%を超えているが、以前はほぼ100%だったため、近年の入会率低下に「危機感を抱いてる」(前出のベテラン弁護士)のだという。

愛知県弁護士会の5会派はいずれホームページがない。歴史は古く、無名会と清流会以外は戦前に誕生している。現在の最大会派は清流会だ。

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