「江ノ電」が50年前の車両も使い続けるワケ 乗客1700万人!「江ノ電」の強さの秘密①

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お客様の快適を考え、安全性を損なわないかぎりは、風景を楽しんでいただきたいと考えているわけです。

廃線の危機をいかに乗り越えたか

――今では大勢の観光客が訪れる江ノ電も、かつては廃線の危機がありました。

路面区間を走り抜ける江ノ電

社会の流れとして、どこの中小鉄道もそうした危機があったと思いますが、当社の場合も廃線が検討されたことがありました。

高度成長期に沿線の開発が進み、住宅地が増えたことで定期利用のお客様は増加したのですが、観光のお客様が減っていった時期があったのです。周辺地域の道路整備が進み、通勤通学の足が鉄道からバスへと変わっていったことも経営難に拍車をかけました。

しかも、この時代にはマイカーブームがあり、ますます鉄道の利用客が減少していったのです。

1963年4月には、ついに、江ノ電の廃線について社内で具体的な検討が始まってしまいました。

つまり、現在、全国のローカル線が陥っているのと同じく、地元の人々が車による移動を中心としたため、江ノ電も廃線の危機を迎えたわけです。ただ、このときの廃線計画はなかなか決まりませんでした。

――それはなぜですか。

その理由は、鎌倉・藤沢地域の宅地開発が進展していたからです。不動産開発は鉄道の存在と密接に関係があるため、廃線にすることが得策かどうか議論は分かれ、結論が出ないまま時間が過ぎていきました。

さらに、車の交通量が急激に増え渋滞が問題化したことにより、鉄道の定時性が見直されたことも、江ノ電の存続にとって追い風となりました。

つまり、安定的に確実に輸送する鉄道の公共性が、江ノ電を廃線から救ってくれたわけです。

そして、江ノ電を決定的に復活させてくれたのが、昭和50年代(1975年~)に入ってからのテレビの青春ドラマでした。1976年に「俺たちの朝」が日本テレビ系列で放映されると、「極楽寺へ行けば幸せになれる」という評判が立ち、観光のお客様が激増します。

再び、観光客が増加するようになって、江ノ電は今日の観光鉄道として生き残りへの道が開けることとなったのです。

(写真撮影:今井 康一)

深谷 研二 江ノ島電鉄株式会社(江ノ電)前社長

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ふかや けんじ / Fukaya Kenji

江ノ島電鉄株式会社(江ノ電)前社長。1949年2月、東京生まれ。父は国鉄職員。1971年4月、日本大学理工学部土木工学科卒業後、小田急電鉄㈱入社。経堂保線区長、大和駅改良工事事務所長を経て、1988年工務部施設計画課長で大規模建設工事を担当。1997年運輸部長、1999年工務部長、2001年執行役員運転車両部長。2003年箱根登山鉄道㈱出向後、小田急グループ箱根再編事業を担当。2005年箱根登山鉄道㈱代表取締役社長。2008年江ノ島電鉄株式会社代表取締役社長。地方鉄道および観光事業の活性化に他社・地域と連携して取り組む。2014年同社相談役。2015年6月退任。

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