米紙の行くべき街に「山口」日本人が知らない魅力 京都を模した街並みと古刹に感じる居心地の良さ

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池を挟んでカーテンゾーンの反対側には全長27メートルの時代絵巻が展示され、大内家の歴史を学ぶことができるようになっている。日本三名塔(法隆寺、醍醐寺、瑠璃光寺)の一つと言われる五重塔の実物を拝見できないのは残念だが、全面改修に伴うさまざまな仕掛けで大内文化を堪能することができた。瑠璃光寺五重塔は山口市観光のハイライトといっていいスポットだが、京都の有名寺院のような混雑とは無縁で、ゆっくりと自分のペースで鑑賞できる。

次に向かったのは、室町時代に活躍した水墨画の大家で禅僧でもあった雪舟がアトリエとしていたとされる雲谷庵跡。京都の相国寺で僧になり、絵を学んだ雪舟は37歳のころ山口に来て、大内氏の後援を受け、雲谷庵に住み始めた。1467年、48歳の時に遣明船で明に渡ったが、1469年に帰国し、再び雲谷庵に居住して多くの弟子を指導。そして1486年、67歳の時に国宝「四季山水図」をここ雲谷庵で描いたのである。

1506年に87歳で生涯を閉じた後、大内氏の後を継いだ毛利氏が、雪舟の画脈が途絶えることを惜しみ、雲谷宗家にこの地を与えたが、明治期の廃藩後に雲谷庵はなくなってしまった。明治17年に有志が古い社寺の古材で庵を復元し、現在に至っている。

雲谷庵跡の内部の様子

茅葺屋根の庵は、見学自由。戸を開けて内部に入る。居室は2つのみでいたって簡素。奥の部屋には囲炉裏があり、雪舟の肖像画が掛けられている。ひとりでたたずんでいると、時空を超えて大家が筆を走らせているシーンが思い浮かんでくるようだ。歴史のロマンを感じる空間だ。庭にある高台に上がると瑠璃光寺五重塔を眺めることができる。雪舟も眺めたのだろうか。

ちなみに雲谷庵跡がある一帯の地名は「天花(てんげ)」という。なんとも優雅な響きがあるではないか。

雲谷庵跡
雲谷庵跡の内部の様子(筆者撮影)
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