米紙の行くべき街に「山口」日本人が知らない魅力 京都を模した街並みと古刹に感じる居心地の良さ
コンパクトな街なので歩いて回ることにした。駅前の人通りの少ない街並みを抜けて、「日本の道100選」に選ばれているパークロード沿いにある亀山公園に立ち寄る。小高い丘になっていて、頂上からは山口の街並みを一望できる。
高いビルがほとんどない。山口市の主要部は周囲を山に囲まれた盆地で、室町時代に周防・長門の守護となった大内弘世(24代)が1360年ごろに、政庁を京都盆地に似た山口に移し、京の都に模した街づくりを行った。市内を流れる一の坂川を鴨川に見立てたもので、歴代当主もその街づくりを受け継いだという。
経済力のあった大内氏は明や朝鮮との交易・交流にも積極的で、独自の大内文化を発展させ、室町末期は戦乱で荒廃した京都よりも繁栄し、「西の京」と呼ばれていた。ザビエルが大内義隆(31代)の許可を得てこの地で布教を行ったのは1551年のこと。亀山公園近くにザビエル記念聖堂がある。
大内義弘の供養塔「瑠璃光寺五重塔」
国宝の瑠璃光寺五重塔を目指して、初夏にはゲンジボタルが乱舞する一の坂川沿いの路を歩く。川の両岸にソメイヨシノが約200本植えられている。瓦屋根の趣のある家並みが続き、週に1日だけ営業しているという隠れ家のような焼き菓子店もある。のどかで素朴な一帯の光景に目をやると、京都の北白川や大原あたりを歩いているような気がしてくる。そうこうしているうちに瑠璃光寺がある香山公園が見えてきた。
お目当ての瑠璃光寺五重塔は1442年、大内義弘(25代)の供養塔として建立された。現在は「令和の大改修中」で、特別にデザインされたシートで覆われている。実寸大の五重塔が白抜きで描かれている。塔影の池のほとりに続く「思想をめぐる道」には和歌のカーテンゾーンが設置されている。
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