「他人と比べない生き方」では幸せになれない

スクールカーストも比較の回避から生まれた

そのほかにも、人と比べるとは明示していないが、勝つことやほめられることの意義を重視し、負けることや無視されることの心の傷つきや、その心理発達や心理状況への悪影響を説いた学者に、ハインツ・コフートがいる。

自己愛をもっと認めることを説いたコフート

コフートは旧来型の精神分析とたもとを分かち、人間の自分は特別だとか、人より優れていると思いたい心理――これが自己愛である――を満たしてやることの重要性を説いた、米国精神分析学にもっとも強い影響を与えた学者である。

コフートは、自己愛を満たしたいという欲求が、人間の本質的な欲求だと考えた。だとすると、コフートにとっても、人とつい比べてしまうのは、普遍的な心理と言えるだろう。

人と比べて“劣っている”という強い思い込みが、劣等コンプレックスにつながると考えたアドラーと同じく、コフートも、人と比べることそのものが悪いというより、それで負けていると感じた際に、バカにされたり、人に認めてもらえなかったことの心の傷つきを問題にした。

コフートに言わせれば、人と比べてできないこと以上に、それを親に叱られるとか、それで人にバカにされることが問題なのである。

逆にコフートも、人に認められたり、ほめられたりする体験が、心理的な安定や成長を促し、人間をさらに野心的にすると論じた。

確かに、人と比べること、あるいは(特に子供時代の)競争を否定する論者の多くは、負けた際の心の傷つきを問題にする。勉強ができる子をほめたり、その成績を貼り出すと勉強ができない子供の心を傷つけてしまう、だからそれをやめようということだ。

しかし、子どもの心を傷つけまいとすると、それがどんどん援用されてしまう。

運動会で1等賞の子供をほめたり、表彰したりすると、足の遅い子供の心を傷つけてしまう。だから手をつないでゴールインなどと言う話になってしまう。あるいは、1等の子とビリの子があまり差がついてしまうと、ビリの子の心を傷つけてしまう。だから、予選をやって、クラスで速いほうから6人で競争させ、7番から12番で競争をするというようなことをやる。すると、クラスで6番の子がビリになるのに、クラスで遅いほうから6番の子はトップというおかしなことが起こってしまう。

学芸会で主役を決めないで集団劇をやるとか、主役のシンデレラが場面ごとに変わる、などというのも同じ論理だろうし、学級委員を決めないという地域まであるそうだ。

「スクール・カースト」という子どもの闇社会

ただ、ここで2つの大きな問題が残る。

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ひとつは、人と比べてしまう、人と勝ちたいというのが、人間の普遍的心理であったとすれば、このような形で競争を抑えつけてしまうと、別の形で、人と比べたり、競争したりしないのかということである。

私は、それが、現実にいびつな形で起こっていると考えている。

それが「スクール・カースト」と言われるものだ。

勉強やスポーツでの競争はいけないことであったとしても、人と競争しないで、みんな仲良くしているほうがいいという価値観や文化であれば、友達が多いほうがいいということになってしまうだろう。

すると、友達の多さで優劣を競い、それによって、自分は人に勝っている、負けていないと思うようになる。

逆に友達が少ない、仲間外れということは、負けを意味するし、人間性が悪いというレッテルまで貼られかねない。

そこで、生じてきた序列がスクール・カーストと言われるものだ。

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