ネグリが示した〈帝国〉の存在とは何であったか 時代の変化をつかむも時代に乗り越えられた思想家の死

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まさにこの外部の衝撃をつくるものがなんであるかということが問題で、それはグローバルな世界に認知された既存のプロレタリアートではなく、認知されていない、つかみどころのない人々の集団である「マルチチュード」だというのだ。

現在の世界の外にいて、認知されずうごめいているどこの国民でもない、グローバルな無国籍の集団、それがマルチチュードだというのである。この集団は、ウェストファリア条約によって生まれた個々人に分離した近代的市民ではなく、集合的共同体の中で断固として個人主義を拒否する共同体的人々である。

「マルチチュード」とは何だったか

こうした人々を具体的に思い浮かべるならば、グローバル化した世界で生まれた国家を移動する移民や亡命者の一団といえるかもしれない。

こうした人々は、グローバル世界の中で市民としての権利をもたない、先進国の片隅に生きている、行き場のない非市民として存在し、そこから受ける差別と矛盾をつねに蓄積しつつあるというのだ(詳しくは拙著『もうひとつの世界がやってくる―危機の時代に新しい可能性を見る』世界書院、2009年)。

こうした視点でグローバル化した〈帝国〉の世界を見ると、もはやそこでは市民として認知されたプロレタリアートによる革命などは存在せず、またそうした革命によって生まれた社会主義政権国家が、冷戦時代のように〈帝国〉を脅かすこともない。

世界はあたかもアメリカという〈帝国〉に支配され、安定を極める世界になったともいえる。

しかし、これを崩壊させるものがグローバル化した世界の外にいる人々の集団で、それが安定した〈帝国〉を崩壊させるというのである。こうした人々はマルチチュードとして、あちこちにいるゲリラのようにつかみがたい存在として、〈帝国〉の安寧を脅かし、いつかはそれを崩壊させるというのである。

こうした議論を展開したネグリとハートの『〈帝国〉』が、この時代よく読まれたというのは、よく理解できる。潔癖を誇ったかに見えたアメリカという〈帝国〉は、それに対抗する国家を外にもたず、また内部にも抵抗するプロレタリアートをもたないのだから、アメリカを崩壊させるような革命や戦争という可能性はまったくありえない。

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