「異色」社長が牽引するタムロンのレンズ革命

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 A005と同様、小野がヒットに導いた製品は少なくない。開発部長時代の1992年、「こんなものをつくるのは無理だ」という反対を押し切って、小型の「高倍率ズームレンズ」を開発。広角から望遠までの機能を集約したこのレンズは、今やタムロンの代名詞的存在である。

鬼の創業社長から薫陶 取締役から2段階降格

小野は異色の経歴を歩んできた。自動車ワイパー製造会社を経て、26歳当時の74年、タムロンに中途入社。職業安定所の紹介だった。

「つてもまったくなかった。レンズを手掛けている会社ということも知らなかった。前職は仕事がなく暇だったから、仕事をしたくて。タムロンは仕事がいっぱいあるということで、職安が紹介してくれた。カメラが好きだし、ちょうどいいや」。

そんな安易な気持ちで臨んだ面接。だが、そこに待ち構えていたのは、創業社長の新井健之(故人)だった。開口一番、ピシャリと放たれた。「君はウチの会社に来ても、3カ月もたないだろう。前にいた会社のことはよく知っているが、そこの社員は甘い。根性がない」。この言葉に発奮した小野は「意地でも3年は辞めない」と、入社を決めた。

「お父っつあん」。小野は新井のことを、今でも親しみを込めてそう呼ぶ。持ち前の馬力や忍耐力が認められたのであろう、徐々に新井から仕事のイロハをたたき込まれていく。

新井は現場、現物、現実の「3現主義」を徹底していた。報告を上げると、険しい目で「小野、現場を見てきたのか」。答えなくても、そわそわした態度ですぐに見破られた。そして、怒鳴り声。「バカヤロー」。

何度も怒りを買った。28歳で生産部長に昇進したが、すぐに営業部に移された。新井が同行して獲得した注文を「その納期でできるわけがない」と、顧客の面前で断ったためだ。30歳で取締役に就任したが、このときも新井の要求に応えられずに、3年目でギブアップ。部長より下位の次長へと、2段階も降格した。

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