「脱炭素社会」を制する鍵は蓄電池が握っている 熾烈なバッテリー開発の勝者が得る巨大な果実
平田:そのとおりですね。日本は石炭から石油のところで、うまくいかなかった。日露戦争において、日本の艦船がロシアのバルチック艦隊を破りましたが、当時の艦船は石炭を動力源に運航されていました。しかし、明治から大正になり、1914~1918年の第1次世界大戦中には、日本の海軍の燃料が石炭から重油にシフトし始めます。
資源について神様というのは実に不平等です。日本の近代化という歴史においては、神様は石炭を日本に与えましたが、石油は与えてくれませんでした。近代化が進むにつれて、石炭ではなく石油の確保が不可欠でしたが、大正時代以降、日本は石油の自給ができなくなりました。やがて日本は、石油輸入の9割をアメリカに依存するようになります。
八幡製鉄所や富岡製糸場のように、鉄や繊維では国営企業で成功しましたが、石油の分野では国営企業が出てこなかった。
藤沢:それはなぜでしょうか。
平田:これが不思議です。日露戦争以降、戦艦から戦闘機に戦い方が変わりましたが、原油の確保に対する政府の動きは活発ではありませんでした。軍需省における資源エネルギーを総合的に見る部署の創設も著しく遅かったですし。
石油の調達の9割を依存していたアメリカとの外交に失敗し、東南アジアに原油調達に向かいましたが、原油を売れと居丈高に言ったという記録はありますが、開発を支援すると申し出た記録はありません。その頃の政策が悔やまれます。
「市場メカニズム」で動かない世界
平田:私が通産省(当時)に入った頃には、世の中はすでに「市場メカニズム」で動いていて、通産省が、鉄や家電や半導体、それから産業機械で成功したのは、「市場メカニズム」の中で企業育成をしたからだと考えられていました。それは間違っていないとは思うのですが、一方でエネルギーの海外での石油や天然ガスの開発の分野は、必ずしもそういうものではなかったと思うんですね。でも時すでに遅しでした。
「市場メカニズム」で競争する分野と、必ずしも市場メカニズムで動かない、各国が国営企業を擁して向かっているような国が行わなければならない分野があって、ある部分のエネルギーは後者だったと思いますが、当時は、すべて「市場メカニズム」「民営化」の流れで、国営というものはいけないという風潮でした。
しかし、中東やアフリカ、旧ソ連に行くと、国営が歓迎されます。フランスやイギリス、イタリア、スペインの国営企業がそれで活躍しています。そして、プーチンはそれを知って、国営企業を強化して資源開発や生産を行った。そもそも、アメリカも国営ではないものの、独禁法制定の原因ともなったあまりにも強力なロックフェラー率いるスタンダードオイルの流れからから幾つもメジャーに分かれたといった凄い企業が根っこにあったわけです。活動も国家と密接ですし。