――江原氏のような存在がブームになったのは、日本人の宗教観から見て、どう解釈できますか。
国語辞典や英語圏の辞書を見る限り、宗教とは超越的な存在や力を前提とする信念と実践ということになります。占いなどもこれに当てはまりますが、日本人の間では、個人的な信念や実践は宗教とは呼ばれません。個人と社会の間の拘束力が強い中間団体が、とくに「宗教」と呼ばれる傾向があります。
各種の宗教意識調査を総合すると、「宗教」を信仰する人は20%台であり、大学生に至っては1割に満たない。ところが、霊魂やあの世の存在への肯定回答率は過半数を超えることがあります。つまり、現代日本においては「霊を信じるが無宗教」という層が広まっている可能性があります。
江原氏のように「宗教」と批判的距離を置きながら、「霊」への関心を満たしてくれるようなカリスマ的存在が受け入れられる背景には、このような宗教意識の土壌があるのです。
もう1つの要因は、オウム事件以降の特殊なメディア環境です。
カルトはたたくがスピリチュアルは持ち上げる
――特殊なメディア環境とは何でしょうか。
オウム事件があった1995年から1999年までは、メディアにおける「カルト」批判が最も激しい時期でした。この時期、心霊番組や超常現象を扱うテレビ番組は一気に姿を消します。
ところが、2001年以降は急速に復活を遂げます。江原氏以前に注目を浴びていた霊能者である宜保愛子氏は、2001年以降はテレビで復活しますが、2003年に他界してしまう。そこに、江原氏がテレビに登場するようになったのです。
2000年までは反カルト一色でしたが、2001年からは「カルト」はたたくが、「スピリチュアル」は持ち上げるメディア環境に転じたと見ることができます。それを矛盾と感じないような「霊を信じるが無宗教」というメンタリティが定着しているといえます。
超越的な力を前提とする信念や儀礼であっても、「特殊な拘束集団」と関わりがなければ、つまり個人的信念にとどまるものであれば「宗教」とは呼ばずに受け入れる態度が、メディアを中心に、またその影響を受けやすい若者から中年世代に広がりました。
――オウム事件によって宗教への警戒心は高まったが、新たに「スピリチュアル」という言葉が「霊を信じるが無宗教」という層の受け皿になったということですね。
そうです。オウム事件が起きたすぐ後、宗教学者の阿満利麿(あまとしまろ)氏が書いた『日本人はなぜ無宗教なのか』では、日本人の7割が無宗教であると答えるのに、その4分の3が広い意味での宗教心は大切と答えているという調査を取り上げ、この「無宗教の宗教心」の形成過程を明らかにしました。オウム事件直後の反カルト的な雰囲気が充満する中、日本人の宗教性が「無宗教の宗教心」として規定されたのは示唆的でした。
実際、事件後は宗教団体の活動は目立たなくなりましたが、無宗教の宗教心に近い「スピリチュアル」や「癒し」が台頭したのですから。
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