[Book Review 今週のラインナップ]
・『日本政教関係史 宗教と政治の一五〇年』
・『奇跡のフォント 教科書が読めない子どもを知って UDデジタル教科書体 開発物語』
・『読み継がれる自分史の書き方』
評者・神戸大学教授 砂原庸介
人々が個人的にどのような信仰を持っても構わないとする信教の自由は、最も基本的な精神的自由として、近代憲法で認められている。
しかし国家にとっては、単に個人の精神の自由を認めるという話にとどまらない。宗教がその教えを中心とした共同体を作り出すからである。しかも国家の定める法律や規則とは異なる行動原理で動くかもしれない共同体だ。国家はそれらを自由にさせておくほど寛容にはなりきれない。
明治維新直後の日本は、国家宗教として神道を整備し、祭政一致に支えられた政治運営を行おうとした。その試みは、いわばほかの宗教への寛容性を最小限にし、社会を一元的に組織化する試みでもあっただろう。だが、政治的な狙いは明確でも、宗教として十分な基盤なしに急激な変化を実現するのは困難だった。
法律とは別の原理で動く可能性 宗教共同体を国家はどう扱うか
本書が描くのは、国家神道の挫折後、日本において国家が宗教を、より正しくは宗教団体をいかに許容し、社会に包摂してきたかという歴史である。これは、単に国家が社会の発展とともに寛容性を増していくことを意味するのではない。重要なのは、宗教団体が国家にとって利用可能な団体だと認められるかどうかである。統治に有益であれば許容され、利用できない危険な団体だと認知されれば排除されることになるのだ。
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