2つ目は、成長経済下で育まれた日本人の「一億総中流」意識です。そもそも生命保険は、中間所得層向けの金融商品です。富裕層はお金があるので保険を必要としません。低所得貧困層の人たちは、保険料を負担する経済的余裕がないので保険に入れません。唯一、保険の引き受け手となるはずの巨大な中間所得層が、かつての日本には存在しました。
そして、まわりの人たちが次々と保険に入る様子を見ながら、何となく自分も保険に入らねば、との思いも生まれます。中流意識と日本的ヨコ並び意識が相まって、保険加入の流れが加速されたのです。そこでは欧米のような、何のために保険に入るのか、保険は必要なのか、といった根源的な疑問が生じることがありませんでした。
3つ目は、保険情報の閉塞性です。人々が目にする保険情報は、ほとんどが保険を売るサイドから発信されるものばかりでした。「売らんかな」のバイアスがかかった情報ばかりに振り回され、いつしか人々は、売り手の思惑通りに行動するようになりました。
「どの保険が選ぶのがよいのか」を迫る保険情報によって、「何のために」「そもそも必要なのか」といった視点は覆い隠されてしまいます。その結果、いつの間にか「保険は入るもの」が日本人の常識になってしまいました。
日本の保険はガラパゴス状態
こうした日本人の保険観は、世界の潮流から取り残された保険ガラパゴス的産物と言えるかもしれません。そこからは、欧米のような「保険はそもそも必要なのか」という疑問は生まれません。そして、「必要がなければ保険はできるだけ入らない」という当たり前の発想もついに出てきませんでした。
日本人は、必要でない生命保険に入り過ぎています。日本は、とうの昔から欧米諸国並みに社会保障制度の充実した国になっています(場合によっては欧米以上です)。ですから、屋上屋を重ねるような多額の生命保険に入る必要はありません。
不要な保険に入る、ということは、それだけ他の生活費を圧迫する、ということです。
「保険は入るもの」と情緒的、感覚的に信じ込み、何となく生命保険に入る時代は、とうに終わっているのです。
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