フォードはさらに、労働時間が短いほど、従業員がよい仕事をすることに気づいていた。時間制限があるほうが、イノベーションも効率的な方法も生まれやすい。ただずるずると作業をするのでなく、「どうやって」作業をすればいいのか考えるからだ。
「6日間でできることを5日間でやれば、おのずと生産性は上がる。緊張感があるから、よい方法も思いつく」と彼は信じていた。
また、きちんと休めている従業員は効率的に働き、やる気があるため、損失を出すような大きなミスをしにくい。単純作業でさえ、量を増やせば自動的に生産性が上がるわけではないと、フォードは考えていた。
彼独自の理論で、フォードは余暇文化への回帰をいち早く提唱したのだ。経済人として休息倫理への先見の明があった数少ない人のひとりだ。
「余暇は怠けることではない」と彼は述べる。「余暇と怠け心を一緒にしてはならない。(中略)余暇が増えると、多くの人の予想に反する結果になるだろう」
そしてこんな大胆な未来の予想もしている。
「週5日間労働がゴールじゃない。1日8時間労働だってやりすぎだ。(中略)次は1日の労働時間をもっと短くする方向に進むだろうね」
余暇を取り入れるフォードの方針は成功を収め、ほかの企業もならった。1938年、アメリカは公正労働基準法を制定し、週44時間以下に労働時間を制限した。
アメリカ・ビジネス誌『ファスト・カンパニー』の記事で、ジョン・スタッフとピート・デイヴィスはこう書いている。
「アメリカ人は余暇に対して楽観的で、多くの専門家は平日が消えてなくなるのではないかと予測している。経済学者のジョン・メイナード・ケインズによると、技術的発展で2020年までに1週間の労働時間は、15時間まで減少するらしい。1965年、上院小委員会は2000年までに週14時間になるだろうと予想している」
しかし、余暇への楽観的な期待はそう長くは続かなかった。仕事にまつわる道徳は僕たちの深いところに潜み、余暇を楽しませてくれない。すぐそこにあるのに、つかめないのだ。
19世紀に逆戻り、現代の労働条件
20世紀初頭、たくさんの産業リーダーや思索家がレジャーの価値を認めてくれていたらよかったのに。そうだったら、僕たちはきっと今頃、古代ギリシャやローマの人々のようにレジャーを大切にし、タイムオフの恩恵を受けていたことだろう。
ヘンリー・フォードもそう信じていた。1926年、1日の労働時間を10時間から8時間に減らしたとき、それがもっと短い労働時間への第1歩になるだろうと彼は信じていた。
しかし残念ながら、フォードの予想は大きく外れた。短い労働時間と労働日数の夢はついえたどころか、傾向はその逆だ。
2014年のギャラップ調査によると、アメリカの平均労働時間は週47時間であり、1926年のフォードの工場従業員よりも、ほぼ丸1日長く働いていることになる。しかもこれで平均だ。18%は週60時間働いている。19世紀後半から20世紀初頭の労働条件に近づいているのだ。
僕たちはノーブル・レジャーに戻ってくるチャンスがあった(少なくとも労働と私生活に時間のバランスをもたらすことはできそうだった)のに、やっと手が届きそうなところで、壊れた道徳心を羅針盤にしてしまったため、道に迷ったのだ。
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