しかし、宗教的価値観の大きな引力が失われると、なぜ働くことが善であり、悪の対極になるのか、その理由づけがエリートのなかで変化し始めた。神に対する罪というより、産業革命の寵児である個人主義者たちは、なにもしないことを新しい道徳的罪と結びつけたのだ。
それは「窃盗」だ、と。そして、従業員の時間を買えば、その時間を所有できると考えるようになったのである。
この変化により、仕事の行われ方も変わった(必ずしも雇用主が得したわけではなかった)。それまでは時間を使ってなにかを生産しなければ換金できず、取引は成立しなかったが、この変化により真ん中のプロセス(要するに労働)が必要なくなったのだ。
つまり、素早く仕事を仕上げることでお金が支払われるのではなく、時間そのものに支払いが発生するため、無駄に忙しくしていなければ罰せられるようになったのだ。仕事が終わっても、そこにいなければならない。なぜなら雇い主は、あなたの「時間」にお金を払っているのだから。
「8時間労働」がもたらしたもの
これらの変化に適応するにつれて、労働者の要求も変わった。時給の改善、残業代、労働時間短縮……すべては、「自分の時間を売っている」という概念に見合ったものになった。その要求はもっともだ。当時の人々は、平均週6日、1日10〜16時間労働していたのだから。
そして、時間を僕たちの手に取り戻そうという認識(そして余暇の時間を増やそう)が現れ始めた。タイムオフをかけて、労働者たちは声を上げ始めたのだ。現代では、メーデーは祝日だ。レーバーデー(労働の日)とか国際労働日としても知られている。
労働者の権利を求めた運動家たちは、1886年に起こった(暴力を伴う)抵抗の記憶を思い出し、祈念する。「私たちが望むことをする時間」、つまり8時間労働、8時間睡眠、そして8時間の余暇を求めた日だ。
数十年の月日を要したが、その要求は実現された。1926年、ヘンリー・フォード(自動車メーカー、フォード・モーターの創設者)は週の労働日数を5日間、1日の勤務時間を8時間と定めた。業界基準以上の給料も約束した。
どうしてフォードは決断したのだろう? 優しい人だったからではない。優しかったかもしれないけれど、この決断の理由は経営上、そして実務上必要だったのだ。
まずフォードは、ベストな労働条件を提示すれば、ベストな人材が集まると考えた。そして実際にそうなった。腕利きの才能にあふれる人々が、ライバル会社を退いて、フォードの工場に働きにきたのだ。
それから、働きすぎていたり疲れたりしている人は、お金をあまり使わないこともフォードは知っていた。彼はこう言っている。
「余暇が多いほど、新しい服が必要だ。食べ物の種類も増えるし、乗り物だっていろいろ必要だろう。余暇は消費市場拡大に欠かせないものだよ。働いている人たちだって、消費者製品を手にする自由時間が必要だろう。自動車に乗る時間とかね」
古代ギリシャとローマで、余暇のなかで文化が花開いたように、現代でも余暇が同じ役割を果たすだろうとフォードは考えた。資本主義の味付けをしてね。つまり、自由時間があるほど、経済はふくらむ。高尚な余暇(ノーブル・レジャー)ではなく、高利益な余暇(プロフィタブル・レジャー)をフォードは提唱したのだ。