その後1983年から1984年にかけての原油価格下落により、コスト高となるリサイクルは注目されなくなった。多くのエネルギーを投入して廃プラから油を取り出す手法は非効率だと思うようになり、プラスチックとして蘇らせるマテリアルリサイクルこそが効率的だと考えるに至った。
そこで1985年に29歳で独立し、全財産350万円を資本に1人で協栄産業を立ち上げ、ビデオテープのリサイクルを手掛けた。
というのは、ポリエチレン(PE)、ポリプロピレン(PP)、ABS樹脂、ポリスチレン(PS)などの戦後からある汎用樹脂のリサイクルへの参入余地がなかったため、新樹脂であるポリエチレンテレフタレート(PET)が使われているビデオテープのベースフィルムのリサイクルに活路を見出そうとしたからであった。
ビデオテープのメーカーから、これまで埋立てや焼却していた廃材を入手し、自動車の内装材や作業服へとリサイクルしていくビジネスを展開した。
しかし、1985年のプラザ合意により円高誘導施策が採られ、工場が海外移転する流れとなり、リサイクルへの材料が入手できない状況に陥った。
そこで注目したのが、1982年頃から清涼飲料水の容器として出回り始めたペットボトルであった。ペットボトルの普及により大量廃棄されていく状況を想定し、ビデオテープで培ったノウハウを活用するリサイクルに着手していった。
収集したペットボトルをペレット化すると、ビデオのベースフィルムとは相違し、透明度が高くダイヤモンドのように見えた。飲料メーカーがゆくゆくは「ボトルtoボトル」を手掛けるのではないかと考えた古澤氏は、容器メーカーよりも先に自らの技術を開発しようと思い、1988年から計画を立てて「ボトルtoボトル」に取り組んでいった。
中国に輸出されていくペットボトル
PET樹脂のリサイクルには相応の技術が必要となる。というのも、PET樹脂はほかのプラスチックと相違し、1度熱をかけると大きく劣化し、ペットボトルに必要となる素材の粘度が低下する。
その粘度を低下させない技術となる「再縮合重合反応」を利用して、バージン材と同じ粘度を確保し、「ボトルtoボトル」のリサイクルを実現させた。そして、1994年にパイロットプラントを作り、2001年には「ボトルtoボトル」を実現するためのペットボトルの洗浄工場を作った。
容器包装リサイクル法により、1997年から飲料メーカーもペットボトルのリサイクルを進めていくようになったが、中国は石油原料よりも割安な資源として、日本や欧米諸国から廃プラを輸入していたため、日本からも大量のペットボトルが中国へ輸出されるようになった。
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