そして、この社会的ニーズの高まりをよしとしない人が増えると、年代によって社会に求めるベクトルの違いが鮮明になり、「世代間対立」につながり得る。
より具体的に言えば、労働生産性の低い産業の比重が大きくなり、経済全体の生産性が低下する「原因」として、高齢者に矛先が向かう。成田悠輔氏の「集団自決問題」の一つのメッセージはここにあると、捉えることができる。
「リスキリングで生産性向上」が見捨てる高齢者
デジタル技術やAI技術の発展のスピードは速く、デジタル・ネイティブ世代の増加を待つのではなく「リスキリング」などによって現役世代が技術にキャッチアップし、生産性を高めようという動きがある。DX(デジタルトランスフォーメーション)化はサービス業の生産性も高めることが期待されるため、経済にポジティブな面が多いだろう。
しかし、「リスキリング」を進めて生産性の低い産業から高い産業への労働移動を促すという狙いは、行き過ぎると「集団自決問題」と同義になることには注意が必要である。「生産性が高い産業が増えることは良いことだ」というマクロでは当然の主張が、実は「世代間対立」を生む火種となり得る。
前述したように、医療・介護といった業種は生産性が低くとも社会的ニーズの高まりによって就業者数が増えている。仮にこれらの業種から生産性の高い製造業やIT産業に労働者を動かそうということであれば、質の高い医療・介護を受けたい人が増えているという社会的ニーズの高まりを無視する面がある。
この主張は、高齢者を見捨てるという意味では「集団自決問題」と大差はない。
このような例は金融政策の議論でも存在する。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら