幸福を哲学で突き詰めた人にこそ見えている視点 偶然でなくどうつかみ取るか、それが問題だ
正しく生きるためには幸福を求めるな
一方、幸福と道徳とが一致するというアリストテレス的な「幸福論」に正面から反対したのが、近代最大の哲学者と呼ばれるイマヌエル・カント。その基本的な考え方は、「一方の『幸福』が人間のやみがたい『欲望』にもとづくものであり、他方の『善(よきこと)』を求める道徳とは区別すべきだ」というものだそうだ。
カントは、人間が自然本性上「幸福」を求めることは否定しない。欲望(カントはこれを「傾向性」と呼んだ)を持ち、それにもとづいて「幸福」を求めるからだ。しかし、こうした「幸福」は、「善(よきこと)」」を目指す道徳とは全く異なる。
たとえば、巧妙に嘘をついて仕事が成功し、裕福になったとしよう。その場合たしかに、仕事が成功したという点においては、自分の欲望を満足させることができ、他人からも称賛されるかもしれない。
とはいえ、そうした「幸福がよきものか?」と問われたなら、多くの人は躊躇することになるのではないだろうか。道徳的な「善(よさ)」を無視して「幸福」を手に入れたとしても、居心地の悪さを感じずにはいられないはずだからだ。
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