このままでは、日本はW杯に出られなくなる セルジオ越後に聞く「日本サッカーの問題点」
――日本には「体育」しかなかった、ということですか?
そうなんです。日本にあったのは「スポーツ」ではなく「体育」。「スポーツ」と「体育」はまったく別のものです。
体罰と補欠は日本にスポーツが定着していない証拠
ひところ、体罰の問題が騒がれましたが、これも日本には「体育」はあっても、「スポーツ」がなかったという証しだと僕は思いますよ。
海外ではなぜ、体罰がないのかというと、スポーツだからです。スポーツはエンジョイするもの。音楽やダンス、カラオケなどと同じで楽しむもので、そこには体罰が入り込む余地なんてありません。
一方、体育は体や精神を鍛えるためのもの。訓練のひとつですから、昔から体罰が当然のことのように行なわれてきたわけです。でも、僕は「体罰」よりも酷いものが日本には存在していると思っています。それは「補欠」です。
部費を払っているのに、試合をさせてもらえない。サッカーで言えば、日本サッカー協会に登録料を収めているのに、サッカーを楽しむ権利を奪われている。これって、スポーツの観点からすれば、考えられないことです。
日本人は「補欠」をすぐに美談にしますよね。「あの子は3年間、試合に出られなかったけど、練習を1日も休まず頑張った」なんて褒めるけど、3年間ボールを磨いて、スタンドから応援するのは、スポーツではありません。
――プレーを楽しんでこそ、スポーツだと。
そう。僕はゴルフをするとき、お金を払います。お金を払ったのにゴルフができなかったら怒ります。それと同じ。僕からすれば、「補欠」は差別ですよ。
不思議なのは、個人種目は同じ学校から何人も出場できるのに、団体種目になると1校から1チームしか出られないこと。だから、たくさんの補欠が生まれることになる。1校から何チームもエントリーできるようにすればいいじゃないですか。あるいは、試合に出られない選手は、出られそうなチームに移れるようにすればいいじゃないですか。
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