阪急「名車列伝」、伝統の"マルーン"がファン魅了 6300系登場時や「ダイヤモンドクロス」の思い出
阪急を語るとき、忘れてはならないのが創業者の小林一三の経営手腕であろう。阪急は1910年3月、前身の箕面有馬電気軌道が現在の宝塚線・梅田―宝塚間と石橋―箕面間を開業したのが始まりだ。
小林は住宅地分譲や宝塚新温泉といった行楽地、さらにターミナルデパートの開業など沿線開発に力を入れ集客を図った。1913年には宝塚唱歌隊(現在の宝塚歌劇団)を設立、翌年には宝塚歌劇の第1回公演を行っているほか、プロ野球経営にも力を入れ西宮地区の発展に寄与した。「阪急ブレーブス」を懐かしく思う人も多いだろう。漫画の神様といわれる手塚治虫は宝塚出身で、宝塚大劇場の近くに手塚治虫記念館がある。
【2023年1月25日18時00分追記】初出時、写真キャプションの路線名に誤りがありましたので、上記のように修正しました。
現在の阪急は神戸線・宝塚線・京都線の3つの本線を軸に、今津線・甲陽線・神戸高速線・伊丹線・箕面線・千里線・嵐山線の各線があり、営業キロは143.6kmに及ぶ。このほか、宝塚線の川西能勢口で接続する阪急グループの能勢電鉄とは直通列車「日生エクスプレス」を運行しており、現在の同社車両はすべて阪急からの譲渡車だ。
筆者は昭和50年代、地方私鉄を中心に取材していた頃に能勢電を訪れたことがある。当時はマニア心をくすぐるような阪急の「お古電車」が走っており、1935年製の320形電車が活躍するさまを夢中で撮影したものだった。川西能勢口駅―川西国鉄前駅間の744m区間は小型車両が1両で運行していたのも懐かしい思い出である。同区間は1981年に廃止となった。
廃止といえば、当時の西宮北口駅は神戸線と今津線が平面交差する、通称「ダイヤモンドクロス」が名物だった。その記憶は鮮明で、まるでマシンガンの連続掃射のような連続通過音は今も耳の奥に残っている。ダイヤモンドクロスは1984年3月25日に姿を消し、この際に今津線は南北に分断された。現在は近くの公園に記念碑がある。
関東の私鉄ファンの憧れ
筆者は在京のためそれほど古くから阪急を取材していたわけではないが、1970年ごろから関西を訪れるたびに少しずつ私鉄巡りを始めた。阪急に関していえば、行き止まり式ホームの大ターミナル梅田駅は筆者がヨーロッパの鉄道に憧れるきっかけだったし、神戸線・京都線・宝塚線が梅田を同時発車して並走し十三駅に滑り込むシーンは、関東在住の私鉄ファンとしては度肝を抜かれた思い出がある。
その時代の印象に残っている電車は戦後生まれの1954年製の初代1000系で、車体は窓の周りが膨らんだ形状、個性的な丸みを帯び換気口を設けた独特な屋根形状に一目惚れした鮮明な記憶がある。
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