演者のみんながツイッターとかフェイスブックなんかで告知したり、エンディングトークで宣伝したりするのですが、時にはお客さんがひとりも来ない時もあります。それでもライブを続けていれば、いつかどうにかなるんじゃないかと、地下芸人の仲間たちは信じでいたのです。
また、ピン芸人ライヴ「苦肉祭」では、一人しゃべり、漫談力を鍛えてもらいました。そして、今の僕のネタ作りの土台を作ってくれたのは、松本ハウスさんです。感謝しかありません。
たまに、大きな会場に呼ばれることもありました。
カンニング竹山さんが呼んでくれた時は、赤坂の1000人入るライブ会場が超満(超満員のこと)で、僕はビビリなので、1000人の大観衆をまえにしたとたん、完全に上がってしまいました。自分のネタですべり、企画コーナーですべり、エンディングトークですべり、ライブが終わった後の打ち上げのトークでもすべってしまいました。
ものすごく落ち込んで、やっとの思いで自宅のアパートにたどり着いてドアを開けた瞬間、
「ああ、誰かの言葉で救われたい」
と心の底から思いました。
すると、本棚にあった一冊の本の背表紙が目に飛びこんできたのです。
『相田みつを詩集 にんげんだもの』
僕は本棚からその詩集を抜き取ると、「どうか助けて下さい」と願いを込めてデタラメにページを開きました。
「そのままで ええんや」
「いいわけないやんけ!」
僕は思わず詩集を壁に投げつけました。
売れていない芸人がとんでもないことに
この悪夢のような日からしばらくたったある日の晩、僕は恐ろしい夢を見ました。本物の悪夢を見たんです。
当時、僕の芸歴はすでに25年をこえていました。途中、鬱状態で休んでいた時期はありますが、曲がりなりにも25年以上も芸人を続けてきたのです。
夢では「芸歴25年以上で売れていない芸人は射殺される」という法律が施行されたというのです。
夢の中で、なぜか僕はコラアゲンはいごうまんさんと一緒に町の中を逃げ回っていました。遠くの方から武装した警官隊が、銃を構えて迫ってきます。
コラアゲンはいごうまんさんは、実際に見たり経験したりしたことしか漫談のネタにしない芸人さんです。ヤクザのネタをやるために、1カ月間、本物のヤクザの組長の付き人をやってみたり、霊媒師が「そこに2体の幽霊がいる」という状態で、その幽霊を笑わせる漫談をやってみたりと、とても実験的なことをやっている面白い人です(2体の幽霊は漫談が始まると帰ってしまったそうです)。
僕たちふたりは必死で武装警官から逃げまくりましたが、ついに周囲を包囲されてしまいました。
銃の照準が僕たちふたりの心臓にピタリと当てられて、武装警官が引き金に指をかけたそのとき、コラアゲンはいごうまんさんが大声で叫びました。
「俺はまだナベプロの2年目だ!」
僕は、
「コラアゲンはいごうまんさんって、最後の瞬間までオモロイこと言うんやな」
と感心しましたが、その瞬間にバババババっと射殺されてしまいました。
布団から飛び起きると、脂汗をびっしょりかいていました。
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