「海の危機」に立ち向かう42歳海苔漁師の生き様 毎年100万円使って開く「海と海苔の勉強会」

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その原因について、相澤さんには心当たりがある。しかし、ひとりの海苔漁師がその課題に直接アプローチすることはできない。そこで、2015年頃から海の現状を広く伝える活動を始めた。そうすることで消費者の意識を変えて、共に豊かな日本の海を取り戻そうという試みだ。ひとりで挑むには壮大な話だが、僕は、相澤さんの本気度を知って鳥肌が立った。

「毎年100万円使うって決めているんです。そのお金で、全国で海苔のワークショップを開いています。いろいろなところから呼ばれて講演もしますが、お金は一切もらいません。そのかわり、好きなことを言わせてもらいます。出会った人の気持ちを絶対に変えてやると思ってるので。これは、気づいた人がやらなきゃいけない役目なんです」

相澤さんは宮城県の海苔の品評会で23歳のときに準優賞、28歳のときに最年少で優賞し、2度、皇室に献上した腕の持ち主だ。「できることなら、うまい海苔を作るために、海苔のことだけを考えていたい」と語る男が、なぜ、年間100万円も投じて全国行脚しているのだろうか? 

浜でナンバーワンの海苔漁師になってやる!

相澤さんは1980年、宮城県桃生郡矢本(現東松島市矢本町)で生まれた。矢本漁協協同組合組合長を務めていた海苔漁師の父親の背中を見て育ち、小学校の卒業アルバムには「海苔漁師になる」と書いた。

海苔を養殖している海(写真:アイザワ水産)

高校卒業後4月、相澤さんは父親の指示を受けて、海苔の種や資材を作る熊本の会社で、半年間修業した。海苔の種付けが始まる9月、地元に戻ったときには「しっかり勉強したし、誰よりもうまく海苔を作れるだろう」と考えていたそうだが、すぐに自分の甘さをかみしめた。

ロープの結び方など現場で必要な作業も用語もなにひとつわからない。父親もほかのスタッフも目の前の作業に真剣で、なにひとつ教えてくれない。少しでもまごついたり、ミスをしたら、理由がわからないまま、ただ怒鳴られる。そういう景色が珍しくない時代だった。「とにかく負けず嫌い」な相澤さんは2年目、5人の海苔漁師の仕事を見て学ぶことを決めた。

「海苔漁師を20年やってる人は、20回、海苔作りをしてるんですよね。それじゃあずっと差を埋められないから、5人分の仕事を見て、自分の1年と合わせて6年分、一気に差を縮めようと思ったんですよ。近隣の浜にもひとりで行って挨拶をして、作業の方法とかたくさん教えてもらいました。本来、漁師間の技術交流はタブーなんですけど、若さの特権ですね」

「浜でナンバーワンの海苔漁師になってやる!」と鼻息荒く、あらゆる努力を惜しまなかった相澤さんを、父親も評価したのだろう。海苔漁師の仕事を始めて5年目の2004年、23歳のときに「相澤太」の名義で奉献乾海苔品評会に出品することを許された。

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