本当に「上流階級」が民主主義を支配しているのか 「エリート」対「大衆」というストーリーの功罪

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多文化主義やアイデンティティー・ポリティクスを批判する議論は、しばしば、「マジョリティーの文化」や「大衆というアイデンティティー」を絶対的に優先して少数派の文化やアイデンティティーを抑圧するものになってしまう。リンドの主張にも同様の問題が含まれているかもしれない。

「敵」と「味方」のストーリーにある限界

「テクノクラート」を嫌うあまりに、リンドの議論では経済学の知見や合理性が軽視されているのも気になるところだ。たとえば労働者たちが「移民は雇用を奪う」という認識を抱いているとしても、その認識は間違いであると多くの経済学者たちが理論やデータに基づいて論じてきた。労働者の主観的な感情に寄り添うことも大切かもしれないが、間違いがあるなら客観的な論理や知識によって訂正することも重要であるだろう。

また、新型コロナウイルスをめぐる各国の対応が示したように、経済や医療に関する政策については、その政策がもたらす結果や政策の効率性について専門的な知識に基づいて冷静に判断できるかどうかが、人々の生命を左右することになる。つまり、ある種の問題については民主主義を抑制して専門家による判断(テクノクラシー)に頼るほうが、結果的に大衆を助ける場合もあるのだ。

さらに、「新自由主義」を批判する主張の多くと同様に、リンドの議論にも陰謀論的な要素が含まれてしまっている。共和党と民主党、経営者と知識人など、通常なら利害が相反する場合があると見なされる多様な人々を一括りに「新自由主義エリート」とまとめたうえで、大衆に対して不利益をもたらす政策のほとんどすべては新自由主義エリートたちが自分たちの利益のために意図的に実行したものである……と論じる彼の主張は、あまりに単純なものであるように思える。

冒頭で述べたようにポピュリズムは二項対立を前提にするものであり、世界を「敵」と「味方」に分けるストーリーは人々の感情に強く訴えて人々を動かすものであることは確かである 。しかし、実際の世界はもっと複雑なものだ。リンドのような知識人に求められる役割は、「大衆」が希望するままのストーリーを描くことではなく、現実の複雑さを冷静に分析して、誠実に伝えることではないだろうか。

ベンジャミン・クリッツァー 批評家

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Benjamin Kritzer

1989年京都府生まれ。2014年に大学院(修士)を修了後、フリーターや会社員をしながら、ブログ「道徳的動物日記」を開始(2020年からは「the★映画日記」も開始)。批評家として、倫理学・心理学・社会運動など様々なトピックについての記事をブログやWebメディアに掲載。著書に『21世紀の道徳 学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える(犀の教室)』(晶文社、2021年)、論考に「ポリティカル・コレクトネスの何が問題か アメリカ社会にみる理性の後退」(『表現者クライテリオン』2021年5月号、啓文社書房)、「ウソと「めんどくささ」と道徳」(『USO 3』、rn press、2021年)などがある。

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