日本人が当たり前に行う「多数決」その重大な欠点 子どもの対話力と決める力を奪っている

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多数決の問題は、言い方を変えると「利害関係の対立をそのまま放置する」ことです。多数決を小さなときから学校で当たり前にやっていれば、「対立が起きたら相手を打ち負かせばいい。負けたら従うしかない」という発想をもった大人しか育たないのは当然です。だからこそ私は、子どものうちから対話を通して対立を解消し、誰も置き去りにしない社会をつくっていく体験をさせてあげることが必要だと考えています。

「好き勝手に言うだけ」を脱するコツ

もちろん、対立のある状態から合意に至ることは決して簡単ではありません。そのときに欠かせないのが、やはり大人の適切なフォローです。単に対話を続けさせたところでみんな好き勝手に意見を言うだけですから。感情的な対立に発展したり、好き嫌いの話になって平行線をたどったりと、話が前に進みません。

対話にはコツがあります。それが、私がかつて校長を務めた麹町中でも徹底している「みんながOKと言える最上位目標」という概念です。みんなで意見をだしあって何かを決めるときは、必ず最初に「みんながOKと言える最上位目標」を決める。そして最上位目標で合意ができたら、それを実現する手段をみんなで考えるのです。

たとえば、麹町中の文化祭の最上位目標は「生徒全員で観客全員を楽しませる」でした。文化祭とはそもそも芸能のようなイベントの集合体です。体育祭のように自分たちが楽しめればいいというものじゃない。ダンスにしても演奏にしても、観てくれる人たちに喜んでもらえないと意味がない。ですから、「観客全員を楽しませる」を達成しないといけないんです。

この目標は、校長の僕から提示しました。これをみんなの共通のゴールにしようよ、と。もちろん文化祭の実行委員や生徒会役員が納得するまで丁寧に説明しました。

対話をしている最中はいろいろなアイデアがでてくるので、小さな意見対立は起きます。でも「これって何のためにやるんだっけ?」というところで合意ができていれば、深刻な対立に発展しづらい。それに、自分のアイデアが採用されなかったとしても、自分が合意している最上位目標が実現すれば、少なくとも「置き去りにされた」という感覚にはならないはずです。

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