菅義偉「悔いが残らないように」安倍氏追悼の思い 政治的に「対峙する内容は盛り込まないように」
菅氏:(7月12日の)東京・増上寺での葬儀が終わった後に昭恵夫人があいさつに見え、「何かあれば、菅さんに、友人としてぜひお願いしたい」という言葉をもらった。しっかりやらないと大変なことになってしまうと(思った)。さまざまな資料集めから始めた。
松山キャスター:追悼の辞には政権担当時代のさまざまなエピソードも盛り込まれている。時間の制約で盛り込まなかった話もたくさんあったのではないか。
(国葬は)政争の場ではない
菅氏:(国葬は)政争の場ではない。国葬に適している、適していないことがあり、それは分けるべきだ。少しだけ(政策を)入れさせてもらったが、そこは気をつかった。
橋下徹氏(番組コメンテーター、弁護士、元大阪市長):政治的な意味が入らないように注意したということか。
菅氏:特に(政治的に)対峙するようなことは(盛り込まないようにした)。ただ、平和安全法制など国のために必要でやり遂げたことについては入れさせてもらった。
梅津キャスター:菅氏が追悼の辞で述べた、安倍元首相との銀座の焼鳥屋でのエピソードを改めて紹介する。「総理、あなたは一度持病が悪くなって、総理の座を退いた。そのことを負い目に思って二度目の自民党総裁選出馬を随分と迷っておられた。最後には二人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説いた。それが使命だと思ったからだ。3時間後にはようやく首を縦に振ってくれた。私は、このことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思うだろう」。
菅氏:自民党総裁選挙がもう目前に差し迫ってきている中で、安倍氏を説得する最後の機会だった。
第一次政権では、あのような病状で退陣した。しかし、やってきた政策は評価されるものがものすごくあったと思う。同時に野党政権になり、経済政策は六重苦と言われた。働きたいけど働く場所がないと。安倍氏は経済政策の勉強会をやっていた。外交安全保障、日米関係も最悪の状況、機能不全に陥っていた。もう一度この国を建て直すことができるのは、安倍晋三だとずっと思っていた。それで本人に出馬を勧めた。