さて、あさひさん。長い文章になりました。
僕は中学時代、「友達のふりをする苦痛」と「ひとりのみじめさ」を天秤にかけて「ひとりのみじめさ」を取りました。グループから抜けて、ひとりでもいいと決意したのです。
それでも、何人かはときどき話しかけてきてくれました。ひとりになってさびしい時に、話しかけてくれるだけでも、それは僕にとって「おみやげ」でした。
そういう時、自分はどんな「おみやげ」が渡せるだろうかと考えました。
相手にとって何が「おみやげ」になるかを考えることは、つまり、相手を理解しようとすることです。音楽に興味のない人にいくら最新の音楽事情を話しても、それは「おみやげ」になりません。自分が興味あることと、相手が興味あることが違うことはよくあります。
相手のことを思って「おみやげ」を渡すうちに
そうやって、考えながら「おみやげ」を渡しているうちに、ひとり、本当の友達ができました。たったひとりでしたが、さびしさもみじめさもなくなりました。じつは、彼も「ひとりのみじめさ」を選んで、グループから抜けた人間でした。
あさひさん。これは僕の場合です。
あさひさんは「友達のふりをする苦痛」と「ひとりのみじめさ」を自分で天秤にかけないといけません。焦らず、ゆっくり考えてください。
そして、「この人と本当の友達になりたい」と思う人がいたら、「自分はどんな『おみやげ』を渡せるんだろう」と考えるのです。
「おみやげ」は押しつけるものではありません。相手がいやがるものでもいけません。
相手がもし、あさひさんの「おみやげ」を受け取る気持ちがないようなら、あきらめるしかありません。ただ、その人がくれた「おみやげ」に感謝していること、うれしかったことは伝えましょう。
相手への「おみやげ」を考えることは、人間を理解しようとすることです。それは決してムダな努力ではないです。
その努力は、あさひさんを成熟させます。人間を見る目を養い、相手の気持ちを察することができるようになります。
そんな素敵な人は、みんなが友達になりたいと思う人なのです。
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