「安倍氏国葬」反対派が騒いでも政府が黙殺する訳 派閥の力学という不安定要素を抱え込んだからこそ
吉田茂の国葬(儀)は現代よりいっそう前例も乏しかったが、自民党からの要望と、なにより佐藤自身が強く望んだこと、また共産党を除く野党から強い反対が出されなかった一方で、佐藤の葬儀に際しては自民党からはやはり国民葬の要望が示されたものの野党や世論から多くの反対が示されていた。何より少数派閥出身で、清廉さを打ち出さざるをえなかった三木武夫は自民党のみならず野党の声にも世論にも配慮するほかなかったのである。吉田の国葬も、佐藤の国民葬も「賛成一色」などというムードではなかった。
現状、明確な法整備が行われていない以上、実務的には国葬(儀)は客観的な業績に基づくというより、時の内閣の判断と裁量の範疇で実施の可否が判断される政治力学の産物というほかないようにみえる。
なおこうした判断はなにも日本に限らない。たとえばイギリスでは原則として国家元首を国葬とし、先日亡くなったエリザベス女王は国葬となるが、1965年に第2次世界大戦イギリスの「危機の宰相」ウィンストン・チャーチルは国家元首ではないが国葬が唯一、例外的に実施されている。2013年に「鉄の女」サッチャーが亡くなった際には国葬ではなく国葬に準じる葬儀が実施されている。
岸田首相が「英断」せざるをえなかった理由
こうした例からも、筆者は成熟して安定した自由民主主義の国において、国家によるカリスマ化、神格化を促しかねない過剰な儀式的性質を帯びる国葬(儀)よりも、通例通りの内閣・自民党合同葬が好ましかったと考えるが、国葬(儀)開催が法に基づいて内閣の裁量的に実施可能であれば岸田首相の「英断」と選択も理解できなくはないという立場を取る。
思い起こしてみれば、自民党内で岸田政権を中心となって支える岸田派は43人の第4派閥に過ぎない。それ対して安倍派は97人の筆頭派閥。茂木派54人、麻生派51人、二階派43人という情勢だ。安倍氏の存命中、かろうじて安倍派の政権支持を繋ぎ止めた影響は大きいが、安倍氏が亡くなった今、自民党内には派閥の力学、安倍派内の力学という不安定要素を抱え込んだことになる。
実務的に、岸田政権にコロナ第7波や物価高騰も不安定要因として追い打ちをかける。自民党を応援するなかで亡くなった安倍氏の国葬(儀)の実施で自民党内の不安定な圧力を軽減できるなら、さらに訪日する各国関係者との「弔問外交」を通して、来春の統一地方選挙に向けて低迷する内閣支持率引き上げのポイントを高めたいというのが本音だとしても違和感はない。
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