統一教会からの「返金終了」が山上家貧窮の決定打 兄の自死が再起を図る徹也の希望を打ち砕いた

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――医療費も生活費もままならず、将来を悲観してしまったと。

実は、兄が自殺する少し前、私は電話をもらっている。神戸大学の病院に入院したいから一緒に来てもらえないかという相談だった。その意味は、私に「医療費を負担してもらえないか」ということなんです。母親のA子にそんな資力はないから。

今となっては悔やまれるのだが、私は当時、食道がんを患っていて、一緒についていってやることができなかった。兄の葬儀の時、徹也は大泣きしていた。なんで死んだんやと。親戚の中には「せめて家(売却した実家)だけでも残っていたら、 何とかなったんちゃうか」という人もいた。

2013年で統一教会からの返金が終了していなければ、という思いが私の中にはある。

――2005年に海自を退官した後の徹也さんは、測量士補や宅地建物取引士の資格、ファイナンシャルプランナー(2級)、フォークリフトなどの資格を取得していきます。人生を立て直そうとする意志が感じられます。

立ち直そうとしていたんだろうな。でも兄の自殺によって、徹也は希望を持ち続けることすらできなくなったんじゃないか。2013年の返金終了が山上家にとって、あるいは徹也にとって大きな転機になった。徹也が犯行に及んだ理由を考えると、2013~2015年に起きたことが強く影響しているんじゃないかと私は思うわけだ。

「記者会見を開いて世間様にお詫びをしたい」

ーー事件後、母親A子さんと徹也さんの妹B子さんは伯父さん宅でしばらく暮らしていました。2人が来たとき、どのような状態でしたか。

A子はホームレスのような姿で顔色も悪かった。猫も一緒に連れてきて、(伯父の)息子名義のクレジットカードで、猫のものもたくさん買うていた。今まで買いたかったものを買えたんやろうな。

ーーその後、A子さんが伯父さん宅を出ていった経緯を教えてください。

8月7日、A子は突然私のところに来て「記者会見を開いて世間様にお詫びをしたい」と言い出した。その3日くらい前、奈良の元教会長からA子に電話があった。おそらく、会見を開くという話は元教会長から出た話だろう。

会見を開くと聞いて私は「どうぞご自由に。その代わり、うちを出ていってくれ」と言った。するとA子は「すぐに出ていきます」と、その日の夕方6時頃に出ていった。

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