――医療費も生活費もままならず、将来を悲観してしまったと。
実は、兄が自殺する少し前、私は電話をもらっている。神戸大学の病院に入院したいから一緒に来てもらえないかという相談だった。その意味は、私に「医療費を負担してもらえないか」ということなんです。母親のA子にそんな資力はないから。
今となっては悔やまれるのだが、私は当時、食道がんを患っていて、一緒についていってやることができなかった。兄の葬儀の時、徹也は大泣きしていた。なんで死んだんやと。親戚の中には「せめて家(売却した実家)だけでも残っていたら、 何とかなったんちゃうか」という人もいた。
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