「ブス」「デブ」と言われた私がモデルになるまで アメリカでいかにして「自信」を手に入れたか
本当はモーニング娘。のメンバーになりたかったけど、自分の中で気持ちを押し潰していました。「芸能の仕事は私には無理」「きれいな服を着てもムダ」と、何かに挑戦する前から自分のことを諦めていました。
でも、今では「私は無双!」だと思っています(笑)。あの頃とは見える世界も激変しました。
私は現在、夢を叶えて、アメリカ・ロサンゼルスを拠点に俳優として活動しています。俳優業以外にもコメディアン、プラスサイズモデル、インフルエンサーなど、人に見られる・人を楽しませるエンターテインメントに関するいろいろな仕事をしています。
今でこそ仕事でもプライベートでもコミュニケーション面で苦労することは少なくなり、アメリカでの友人もたくさんできて、ビジネスシーンでの交渉事にも慣れてきたのですが、渡米した頃は英語をまったく話せませんでした。「日本語しか話せなくて渡米!? よくそんな無謀なことができたね」とびっくりされますが、本当の話です。若気の至りとは恐ろしいものです……。
どうして、そんなふうに切り替えることができたかというと、とっても地味なことなんですよね。 やりたかったことを、勇気を出してやってみて、小さいことでも成功体験を積み重ねてきたからです。
小さな挑戦を積み重ねよう
本当に小さなことからでいいんです。たとえば、私はスキニーデニムがトラウマになっていて、12歳頃までは、はいていたけれど、それから大学に入るまで避けていたんです。大学では舞台やダンスを勉強していて、どうしても役柄としてスキニーデニムをはかないといけない場面がありました。嫌々はいたところ、やっぱりみんなから笑われて。そのときは「えへ、面白いっしょ!」とおどけてみせることしかできませんでした。
それっきりスキニーデニムだけではなく、身体の線が出る服は一切着ないようになりました。アメリカへ来たばかりの頃も、スキニーデニムなんてもちろんはけなくて。
でも、渡米したてのときにびっくりしたのは、アメリカ人がレギンスをパンツのようにそのままはいていたこと。日本だとレギンスはスカートやショートパンツ、ワンピースなどの下にはくのが一般的ですが、アメリカではどんな体型の人であっても、レギンスを1枚ではいているんですよね。普通のデニムですらはけなかった私は正直「よくあんなふうに堂々とはけるよなあ……」と思っていました。
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