「この人、面倒くさい」と思われない正論の話し方 その場の空気に流されない伝え方のポイント

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「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉があります。いまの日本の社会を見ると、本来そうであるべき「道理」がことごとく端っこに追いやられ、間違った考えややり方=「無理」がまかり通っていることがそこかしこに見られます。

あなたの職場を振り返ってみてください。どう考えてもおかしいと思われる会社や職場のルール、習慣がありませんか? 出張の際のこまごました規定や持ち帰りの残業など、本当ならばおかしいと思われることがあっても、社内で異議を唱える人がいない……。どんな会社でも、1つや2つはあるのではないでしょうか?

「正論」と「レトリック」の違い

ここで、私の言う「正論」の本質をお話ししたいと思います。

まず、皆さんに理解してほしいのが、「正論」は単なるレトリックとは違うということです。

レトリックとは「修辞学」と訳され、必ずしも悪いものではないのですが、それは時に、さまざまな詭弁を用い相手をごまかし、その気にさせるテクニックを意味するものとなり得ます。

そんな単に、説得するためだけに使われる言葉や理屈は、相手を欺くための手段=道具にすぎません。極端な話、本人自身がその論理や結論を信じていなくとも、相手を納得させ、自分の味方にすることができればいいのです。

これはディベートでも同じです。とくに、あるテーマに対してお互いが反対の立場をとり、相手を論破しようとする競技ディベートでは、自分がどんな意見や考え方であるかは関係ありません。あくまでも相手をどのように論破するか、そして優位に立つかだけが目的です。

いずれにしても、共通していることは、ここで使われている理屈や論理は、あくまでも「手段」であり、「道具」であることに注意してほしいと思います。

このような場面で使われる論は、一見どんなに正しく見えようと「正論」とは言いません。「正論」とは、まさにそれ自体が「道理」であり、かつ「目的」でもある理論なのです。

正論とは、読んで字のごとく「正しい論」という意味ですが、何が正しいのかというと、それは「理屈」が正しいだけではありません。それよりもむしろ、それを主張することそれ自体が、「人を幸せにする」とか「社会をよりよくする」という意味において「正しい」というものでなければならないのです。

さてここで、正論を唱えることの意義を明らかにするために、人を「言葉」でもって動かすには、大きく2つの方法があると考えられている、という話を紹介したいと思います。

次ページ言葉で人を動かす2つの方法
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