特急「サフィール踊り子」コロナ禍でも人気の秘密 「乗って楽しい」とは一味違う伊豆への交通手段

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海水浴客・温泉客とも減ったことで新たな需要の発掘に挑んだ成果の代表が、世間はまだ冬の名残という時期から咲き誇る河津桜であり「温泉いっぱい、花いっぱいキャンペーン」を展開し、今や伊豆観光のピークは1〜2月となった。それから4月の伊豆高原の桜まつりまで続き、春休みは卒業旅行。その後はゴールデンウイークと夏がある。とはいえ、以前のボリュームはないし狭間はへこむ。そして伊豆には紅葉がない。夏を過ぎれば、どことも変わらない静かな光景となってしまうのだ。

サフィール踊り子(写真:久保田 敦)

そこで「食」も前面に出し、伊勢エビや金目鯛などを食する旅も提供した。だが、いずれにしても季節に左右されるため、通年の乗車率は上がりにくい。それが新車への投資を躊躇させる最大の要因であったようだ。考えてみれば、185系も伊豆への行楽専用に製造したものでなく、当時の東海道線通勤電車を兼用する仕様で作られた特殊な電車であった。それが、ビジネスを柱として上下頻繁に利用される「ひたち」や「あずさ」「かいじ」などに新車が投入されたのに、伊豆方面が長らく国鉄型のままだった理由である。

それと、著名な伊豆ならではの裏事情が言われる。何しろ戦前から作られてきた温泉地で、戦後ほどない時期には指定席制の温泉準急が走る需要があった。何より1961年の伊豆急開業は伊豆半島の奥まで開発エリアを広げた。広大な半島全体に温泉地が続くわけで、しかもそれぞれが他では県を代表するほどの規模をもつ。それが、ポツポツ点在する他県の温泉地との絶対的な違いとなるのだが、その結果、各地域の旅館・ホテルは、団体旅行全盛期に拡大したキャパシティを埋めなければならなくなる。地域間競争は激しくなるばかりで、逆に言えば連携に欠く。

また、送り手との関係性でみれば、大規模施設を埋めるほどに送客しなければ受け手側はあまり旨味を感じないので、これまた連携のハードルが高い。そのためJRも、1990年のスーパービュー以降、抜本策を打ってこなかった。

震災でわかった「踊り子」の重み

だが、こうした難しい環境において変化をもたらす出来事が起きた。2011年の東日本大震災である。

人々は旅行する心情ではなく、加えて原発事故による計画停電で行楽列車は軒並み運休となった。伊豆全体から観光客が消えた中で復活に向けた方策が必要となり、それとともに特急「踊り子」が担っていた大きな役割に気付かされることとなった。すなわち「踊り子」が走ること自体、伊豆が大丈夫であることの証であり、マイカーで訪れる人、新幹線で訪れる人にとっても誘い水になることだった。

同年4月9日、「スーパービュー」と185系「踊り子」が1往復ずつ、東京―伊東間で再開された(伊豆急下田へは4月23日から)。それも週末のみだったが、箱根への小田急ロマンスカーに先んじた再開で、実際の乗車人数はさて置くにしても、沿線各市町や関係者は列車の到着を大歓迎した。

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