「哲学的才能」の有無を決める2つの要素

半分は科学、半分は芸術。それが哲学

哲学するのに必要なもの。まず、かなりの論理的思考力や綜合的読解力、直観力や想像力や記憶力、それにある程度の知識(知識を蓄える力)は必要であって、ざっくり言ってしまえば、高校までの学力が高ければ、まずはこれらをクリアしていると言えましょう。

私は、大学受験勉強を「悪い」とばかりは思わない。それは、人間のある限られた知的能力に関するかなり正確な判定方法だと思うからです。「ある限られた知的能力」とは、「こういう条件のもとで正解を出せ」というものであって、これはきわめて基礎的、かつ、きわめて重要な知的能力です。もちろん、これだけでは人間の知的能力のすべてを測ることはできませんが、といって、それが基礎的能力であることは否定できない。

半分は科学、半分は芸術。それが哲学

むしろ間違いは、それを人間の知的能力のすべて、あるいは大部分と考えることなのです。実生活では、「定式が決まっていない状況のもとにおける問題解決能力」が要求されるので、受験秀才はおうおうにして受験非秀才の後塵を拝することになる。また、社会的成功にはきわめて多様な条件(偶然?)が作用しますので、「定式的な条件のもとにおける問題解決能力」が優れている受験秀才がそのまま社会的成功者となるわけではありません。

また、先見の明やアイデアが勝負の世界では、「定式的な条件のもとにおける問題解決能力」はかえって妨げになることもある。誰でも知っていることです。さて、ここでやっと哲学に戻って、哲学の才能とは何か、探ってみましょう。

「定式的な条件のもとにおける問題解決能力」は哲学にとってけっして妨げにはならない。しかし、それだけではダメです。哲学とは、半分は科学のようなところがあり、半分は芸術のようなところがある。つまり、あらゆる科学のように、先人の到達したレベルに達するには、莫大な労力と時間がかかります。そして、それを知識として蓄積するだけではダメであって(哲学学者にはなれますが)、そのうえで「自分固有の見解」を出さねばなりません。自分固有の世界の見え方を語らねばならないのです。

といったって、哲学のテーマとは「存在」とか「魂」とか「真理」とか「自我」とか「時間」とか「善悪」とか……であって、これらのテーマをアリストテレス以来、いやもっと古くからズバ抜けた天才たちが思考してきたのであって、それに加えて「自分固有の見解」などあるわけがない、と思うのではないでしょうか? 

その通りなのです。しかし、それで諦めてしまう人は、哲学的才能がないと言っていいでしょう。哲学の言語は科学の言語と異なり、「客観的世界」について語るのではない。それは、あえて言えば「主観的世界」について語るのであり、しかも個人的体験に基づいてあたかも「客観的世界」について語るかのように語るのです。

自分の考えている、見ている、感じている世界はどうもいままでいかなる哲学者も語ったことのない世界、少なくともいかなる哲学者の語り方によっても語れない世界である、という信念を持った人のみが哲学者になれるのでしょう。

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