「過去の人になりかけた」…君島十和子さんの現在 美容家の第一人者が辿ってきた怒涛の20年

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FTCの化粧品(撮影:今祥雄)

「時代と同期しながら生きるのは面白いですよね。数年前も会社は成長し続けていたし、私自身も新しい挑戦をしていたつもりですけど、世の中には同期できていなかったんだろうなと。50代半ばにもなったら、少しずつ人生を仕舞う準備をする人も多いし、それも一案です。でも、美容家として、美しくなりたい女性たちに美を伝えることが私の使命ですから。終の住処に閉じこもるにはまだ早い。だからね、今後は時代の波には乗って生きて行こうと決めました」

優しく柔らかな表情、品格のある空気を纏いながらも、その言葉は、一言一句がきっぱりとして小気味よい。十和子さんの人生はいつも自らの決断で鮮やかな新章を迎える。

バブルの恩恵を受けられなかった下積み女優だった

君島十和子さんは1966年、東京都に生まれた。幼い頃、普段はお化粧をしなかった母親がある日、口紅をつけていた。その面差しの変化に驚き感動して以来、化粧品やメイクに興味を持つように。

「宝塚も大好きでした。キラキラしたものが大好きだし、憧れていたんでしょうね。あとは、ごく普通ののんびりとした子だったと思います」

そんな十和子さんに最初の大きな転機が訪れたのは、19歳の時。JALのキャンペーンガールに選ばれたのを機に芸能事務所にスカウトされ、大学進学をやめて、芸能界入りを決断したことだ。

「ずっと憧れていた宝塚歌劇団を受験する勇気が持てなかったことを心の奥で悔いていたんです。そこにチャンスが訪れて。やらない後悔より、チャレンジする後悔を選びたいなと。でも、すぐに自分はタレントには向いていないと気づきました。堺正章さんや明石家さんまさんの番組のアシスタントをやらせていただいた時も、ただ横で笑っていることしかできなかったりして。あの場はまさに戦場ですよね。特に器用でも積極的でもない私にとって、その戦場に切り込み、自己主張するタレントの仕事は難しいものでした。

芸能界で長く輝ける人って、生まれながらに、あそこで戦える性質を持っているんですよ。頑張ってやっているわけじゃない。私みたいに自分を鼓舞しないと前に出られない人間は、自然淘汰されていって当然の世界だなと」

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