プレスリリース「広報」が陥りがちな思い込み2選 たくさん書けばOKじゃないし意味ないわけでもない
社会にインパクトが大きい超大企業の場合は、単に広く発表した情報でもニュース価値が高い場合があり、プレスリリースの中身次第では記事の扱いが大きくなることがあります。しかし、そんな企業は数百万社もある日本企業の中で数十社しかありません。一般的な企業がやみくもにリリースを出しても、記者はあまり見ていません。
毎日の特ダネ競争や独自記事の発掘などの仕事に追われていて、超大企業ではない一般企業が出したリリースなどを入念にチェックする時間はないのです。
残酷なことを言うようですが、実際、記者クラブに配布されたほとんどのリリースは、記者の手で丸められ、ゴミ箱へ直行しています。
②プレスリリースにまったく意味がないわけじゃない
一方で、プレスリリース至上主義とは逆に、広報関係者の一部には「プレスリリースにはまったく意味がない!」と主張される方々もいらっしゃいます。こうした意見は、真剣に広報活動に向き合っている方の中に時々見られるようです。そのご意見には、私も一部同意できる面があります。
それでは、プレスリリースを出すのは本当にまったく意味がないのでしょうか? 私はそうは思いません。「リリースが記事にならなければ意味がない」とは言いましたが、逆に言えば、「リリースが記事になれば意味がある」わけです。つまり、企業広報の方が「よいリリース」を出せるようになれば、プレスリリースにも効果や意味が出てくるのです。
記者は常に独自ニュースを欲していますが、面白い独自ニュースなど「いつでも、たくさんある」はずがありません。つまり、独自ニュースだけでは毎日発行される新聞の紙面やウェブサイトのスペース、TVの放映時間などのすべてを埋めることはできないのです。そのときに活躍するのが、さまざまな企業が出しているプレスリリースです。
たとえば新聞記者には、自分の担当の紙面が必ずあります。紙面は記者が何もしなくても自動的に埋まっていくものではありません。しかも、新聞に限らずメディアには必ず締め切りの時間があります。新聞や雑誌は輪転機にかけなければなりませんし、テレビでは放映時間が厳密に決まっています。記者たちは、それまでに何とか紙面や放送枠を埋めなければなりません。
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