無名のメガネ捕手、古田が殿堂に入ったワケ

「メガネ男はプロじゃ無理」を覆した反骨心

プロ入り当時の視力は「裸眼で0.1くらいかな。(視力検査表の)一番上が見えるかどうかだったから」。おまけに乱視がきつかった。「当時は乱視用のソフトレンズがなくて、矯正するにはメガネしかなかった」。矯正視力は1.2あったという。

メガネをかけるようになったのは大学に入ってから。兵庫県の川西明峰高校時代は視力が0.5くらいあって裸眼でプレーしていたが、「受験勉強で一気に悪くなった」という。一般入試で立命館大学経営学部に合格。その代償として視力が低下した。

タテの規律が厳しい体育会。キャンパス内で先輩に会えば、大きい声であいさつしなければならない。「見えませんでした、気がつきませんでしたじゃすまされないんで、もうメガネをかけるしかないと…」。こうしてメガネの捕手が誕生したのである。

メガネのせいで「無視」されたドラフト、反骨心に火が付いた

無名ではあったが、高校時代から秘かに注目される存在。卒業時にはドラフト外で巨人と広島から誘いがあった。進学を決めていたから断り、立命館に入学。大学でも着実に力をつけ、4年時の1987年には大学日本代表のメンバーに選ばれた。

大学卒業時は複数の球団から話があり、条件として出した「上位指名」を約束してくれたところもあった。ところが…。記者会見場を用意して待ったが、どこからも指名がかからないまま、1987年のドラフト会議は終了した。どの球団もメガネで腰を引いたのである。

「恥ずかしかったし、悔しかった。それで反骨心が生まれたんでしょうね。絶対生き残ってやるという…」

雪辱の思いを胸に社会人のトヨタ自動車に入社。1年目から正捕手の座につき、野球が1984年のロサンゼルスに続いて公開競技として行われた1988年ソウル五輪の日本代表に選出された。野茂英雄や潮崎哲也らとバッテリーを組んで銀メダル獲得に貢献。翌1989年のドラフト前は、阪神を除く11球団から話があった。

ヤクルトの当時のスカウト部長、片岡宏雄さんからこんな話を聞いたことがある。社会人日本選手権でトヨタ自動車が敗れたその日に愛知県豊田市を訪れ、古田さんに「上位で指名する」と伝えたら――。

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