無名のメガネ捕手、古田が殿堂に入ったワケ 「メガネ男はプロじゃ無理」を覆した反骨心

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「〝ホントですか?ウソじゃないでしょうね〟と言うんだ。心では思っても、なかなか言えないよ。スカウトに面と向かって〝うそじゃないでしょうね〟なんて。まさに捕手の性格。しかも堂々と言った。相当なもんだと思ったね」

猜疑心は一流捕手の条件のひとつ。二度惚れした片岡さんはメガネで尻込みする現場の声を抑え込み、約束通り2位指名を実現したのである。

古田さんは晴れて入団したヤクルトで野村克也監督と出会い、「ID野球」を徹底的に叩き込まれる。「怒られることがいっぱいあって、ついていくのがやっとだった。要求がどんどん高くなって厳しかったけど、今があるのは監督のおかげです」

捕手だけの評価で殿堂入りは野村、古田両氏のみ

恩師はヤクルト監督就任前年の1989年に殿堂入りしている。捕手出身ではその後、2001年の根本陸夫さん、2003年の上田利治さん、2005年の森祇晶さんらが殿堂入りしているが、いずれも監督やチーム編成としての手腕を評価されての栄誉。純粋に捕手としての評価で殿堂入りしたのは、野村さんと古田さんの師弟コンビだけである。

 いや、古田さんにはもうひとつの評価があった。近鉄とオリックスの合併に端を発した球界再編に揺れた2004年、日本プロ野球選手会長として12球団の選手をまとめ、ストライキを敢行し、一部オーナーが進める「8もしくは10球団による1リーグ制」への流れを食い止めた。「球団を減らすのは危険な行為だと思っていました。多くの人に迷惑をかけることになったけど、ファンの皆さんに答えていただき12球団を維持することができました」

野茂英雄さんがゲストスピーチをしてくれた殿堂ホールから隣接する東京ドームホテルに移動して開かれた小宴には、選手会の松原徹事務局長が駆けつけてくれた。

「おめでとうございます。こんなにうれしいことはありません」。11年前、ともに闘った仲間に祝いの言葉をもらった古田さん。反骨心と強い意思が宿るメガネの奥が、このときばかりは無防備に緩んだ。

永瀬 郷太郎 スポーツニッポン新聞社特別編集委員

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ながせ ごうたろう

1955年、岡山市生まれ。早稲田大学卒。1980年、スポーツニッポン新聞東京本社入社。1982年からプロ野球担当になり、巨人、西武の番記者を歴任。2001年から編集委員。2005年に「ドキュメント パ・リーグ発」、2006年は「ボールパークを行く」などの連載記事を手掛ける。共著に『たかが江川されど江川』(新潮社)がある。野球殿堂競技者表彰委員会代表幹事。
 

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