「円満退職」「好きなことをして生きる」という幻想 辞めるのにいい人に思われようとするな
だが最近は、給料は変わらないのに責任が重くなり悩みばかりが増えるというエア出世が増えているようで、出世したがらない若者が増えているようだ。
同時に「仕事は最低限にとどめ、好きなことをして、ゆとりのある生活をしよう」という提唱もよく聞くようになった。しかし、識者に言わせるとこれを真に受けると、高齢フリーターか、親の年金支給日を「給料日」と呼ぶ無職中年になるおそれがあるという。
「好きなことをして、ゆとりのある生活」とは「そこらへんの雑草を食う生活」という意味ではないはずだ。もちろんそこら辺の雑草を食うのが好きな人もいると思うが少数派なはずである。
つまりその生活ができるのは、最低限の仕事でゆとりある生活を出来るだけの資金を作れる才能がある人であり、こういう人は会社にいても普通にできる人間だと思われる。
会社でデキない奴がそういう暮らしをやろうとすると、「最低限の仕事でゆとりのある生活」ではなく「最低限の生活」というかなりコンパクトに略された、ある意味ミニマリスト生活をすることになってしまう。
「生きる手段に殺される」より「雑草食って生きる」
会社で悩み過ぎるのも馬鹿らしいが「まったく悩みのない世界」を目指して飛び出すと、もっと悩む結果になりがちなので、多少の悩みならやりすごして会社に留まろうとすることも大事である。
だがいざとなったら、雑草を食うことになっても、会社を飛び出す勇気というのも必要である。
仕事は基本的に生きる手段である。だがいつの間にか仕事による負担で命を脅かされるという本末転倒も珍しくない世の中になってしまった。仕事に人生をかけるのはいいが、「生きる手段に殺される」よりも「雑草食って生きる」の方が理に適っているということだけは忘れないで欲しい。
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