少年院の子はモンスター?元法務教官が見た光景 「非行」という仮面の下にある少年たちの素顔
背景のひとつには、SNSの普及によるコミュニケーションの形の変化がありました。やり場のないエネルギーが充満し、爆音とともに発散を繰り返す暴走族に代表される厳しい上下関係やカンパのようなしきたりを敬遠する若者が増えてきたのです。また、危険を冒してまで集団に同調し、警察などに抵抗することも避けるようになりました。
むしろ、現場にわざわざ出向かなくとも、SNS上で労力をかけずに即反応ができたり、あるいは無視を決め込んだりと、SNSを使って簡単に目立つことができるお手軽な時代となりました。とりわけ、最近の特殊詐欺に加担した少年たちは、主犯格である成人の加害者の顔を知らないまま携帯で指示され、縁もゆかりもない老人を被害者にし、逮捕されると「運が悪かっただけ」と述べるなど、罪の意識の低さに驚かされます。
まさに、非行少年同士が面と向かってしのぎを削った時代は去り、非接触型の顔の見えにくい現代型非行の到来です。
非行少年のモンスター像がふくらんできた理由
こうして、青少年事件が特異なものとしてマスコミなどでとり上げられます。一方で、体感治安という言葉に象徴されるように、犯罪心理学者である浜井浩一氏の言葉を借りれば、顔の見えない希薄な人間関係を背景に、自分の知らない人は不審者となり、他人を容易に信用しない社会の雰囲気が徐々に作られてきています。
そうした社会では、過ちを犯す人は、自分たち普通の人と異なる「普通でない人」となり、排除の対象となるのです。そうして青少年層の間に分離・分断が静かに進み、地域において非行少年の存在感が薄くなり、ますます見えづらい人たちとなってしまったようです。
数年前の現職の頃、大学へ法務教官採用試験の広報に出向いたときのことです。「非行少年ってどういった人たちなんですか」と大真面目に質問してくる、非行少年たちと同世代の学生がいました。
少年院においても、少年たちを施設外で活動させる範囲を徐々に狭めてゆき、物理的壁と相まって心理的壁も高くなっていきます。「地域社会に理解される矯正」を目指しているはずの少年院ですが、地域との顔の見える関係も薄れてきているのが現状です。
私見ですが、安心・安全を謳う防犯意識が強まる一方で、個人情報の保護や人権意識が強調されることで、お互いの心理的垣根が高くなり、「できれば関わりたくない」という非行少年のモンスター像がふくらんできているようにも感じられます。
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