少年院の子はモンスター?元法務教官が見た光景 「非行」という仮面の下にある少年たちの素顔
私には、少年たちと付き合ってきて変わらない気持ちがあります。彼らは、モンスターではなく、ごく普通の若者であるということです。一歩間違えれば、自分も同じ運命をたどったかもしれない。心の内側の扉を開いてくれて、その向こう側にある彼らの気持ちに触れると、自分と同じ連続性の上で生きていることを感じます。
私は、本書を通じて、彼らの等身大の実像をきちんと知ってもらいたい。それがきっかけとなって、先の世論調査結果で示された漠然とした不安感を超えて、立ち直りのための手を差し伸べてくれる人がひとりでも増えることを願っています。
心の壁で見えにくい非行少年
私が少年院に勤務を始めた1983年頃は、非行の戦後第3のピークと呼ばれ、校内暴力、シンナー、暴走族の全盛期であり、地元を中心に徒党を組んで大人に反抗するエネルギーの高い少年が多く、少年院はまさに芋を洗うがごとく満員御礼の状態でした。1997年の神戸の「少年A」の事件に端を発したように、2000年代に入ると社会に衝撃を与える少年事件が続き、入院者の多さに寝かせる場所を確保することにもひと苦労したものでした。
この時期は、厳罰化の世論を受けて家庭裁判所による少年院送致の件数が増えました。中には、非行の根深さをさほど感じさせない、社会での立ち直りが可能な少年もいたような印象があります。ある意味、学校や地域において非行少年が身近に感じられた時代です。
一方で、集団生活から突然に外れて単独室に駆け込み、どうしたいのか自分の気持ちを上手に表現できない、理解に苦しむような少年も登場してきました。今ならば、自閉的傾向を特徴とした発達障害を抱えた少年であると見立てることができます。しかし、私を含め当時の教官たちは「わけの分からない子」だと、ただただ戸惑っていました。
そのように慌ただしかった少年院でしたが、地域の方々を招いての盆踊りや運動会、そして社会に出向いての奉仕活動などが活発に行われていました。地域の方々にとっても「顔の見える」少年院が確かに存在していたのです。
ところが、2010年前後になると、非行の質に明らかな変化が見られるようになりました。大集団から小集団、そして個人を中心とした非行が主流となり、非行の周辺には、陰湿ないじめや不登校・引きこもりといった青少年の本音が見えにくい状況が現れてきました。集団生活に馴染めず、課業を拒否して単独室に引きこもってしまう、手のかかる少年が増えてきました。その多くは発達障害を抱えた少年たちです。