感染症と大規模災害が同時に発生する複合災害は、過去何度も起きている。
例えば平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ)(インフルエンザ)の流行が続いていた。『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。
5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった。そこで朝廷は、京都の祇園社(現・八坂神社)に祭られていて疫病を打ち払う神と敬われていた牛頭天王(ごずてんのう)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)の祭り「祇園御霊会」を挙行。当時の国の数に合わせ66本の鉾(ほこ)を立て巡らし、諸国の悪霊が宿るように仕向け、そこへ祇園社の神を祭り、みこし3基を送り込んで諸国の穢(けが)れを祓(はら)い厄払いした。以来、毎年7月30日が祇園祭として今日まで定着している。
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