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法政らしさを再発見、ブランディングに注力 法政大学総長に聞く

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法政大学 総長 田中優子(たなか・ゆうこ)1952年生まれ、神奈川県出身。74年法政大学文学部卒業、80年同大大学院人文科学研究科博士課程を単位取得満期退学。同大社会学部教授などを経て2014年4月より現職。専門は江戸時代の文学、生活文化。(撮影:吉濱篤志)

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──法政大学はこの20年間で規模を拡大しました。

1990年代から学部を増やした結果、かつての6学部が今は15学部もある。学生、教員数も増え、国際化も進んだ。しかし、都心にある他大学も同じように学部を増やし、国際化を進めてきた。そうすると法政がほかと同じように見えてくる。「この大学はどんな大学なのか」、一言で表現できなくなってしまった。そうした状況に、卒業生として、教員として危機感を持っていた。

かつての法政は極めて特色のある大学だった。研究や教育の歴史を積み重ね、自由で物事を突き詰めて考える、という校風だ。例えばバンカラというイメージ。スポーツが強く、応援団が目立っていた。学生運動も盛んで、活発に議論を交わす空気が学内に流れていた。同級生たちと自由に議論する中で「さまざまな考え方がある」ということを学んだ。また地方出身者の学生も多く、環境の違う人たちと交わることで、幅広い視点が身に付いた。

バンカラ的なものは嫌いではない。汚くても、破れていても、貧しくても気骨があればいいというパンクロックみたいな感じは悪くなかった。でもそうした法政の特徴がだんだん失われていった。

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