日産「セフィーロ」が獲った“幻”の特賞 20年前に起きた「事件」の真相を明かそう

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自工会版カー・オブ・ザ・イヤーは、選考結果を見る限り真面目に選ばれていたが、イベントはあくまでも納会の余興であり、「パロディー」版。記者の投票理由を読むと、かなり辛辣なコメントも多かった。例えば第1位のセフィーロのコメントには次のようなものがあった。

「無謀?とも思える新エンジン工場建設を決断しながらも日本カー・オブ・ザ・イヤーを逃してしまうのは勢いの差か」

日産が1994年10月に報道陣に公開したいわき工場のVQエンジン生産ライン(撮影:吉野 純治)

さらに3位となった同じ日産のサニーにはこんなコメントが付けられていた。「いくら性能・装備がアップしたからと言っても、割高感のある車は売れないことを見事に証明し、バブル崩壊後の自動車市場の変化を業界全体に知らしめた功績に対して」

筆者の手元には、当時の資料は全く残っていないので、鮮明に残っている記憶だけを頼りに書いている。納会では10位までの順位を書いた大きな模造紙を張り出し、主な投票コメントは口頭で読み上げただけだったが、出席者からは「非常に面白かった」と口々に声をかけられた。もちろん、その場でも「あくまでも余興ですから、外部には決して口外しないでくださいよ」と強く念を押した。

辻義文社長は大喜び

日本COTYを逃した日産自動車としては、自工会版カー・オブ・ザ・イヤーの受賞はよほど嬉しかったのだろう。私がワープロで作成し、消しゴム製の印を捺しただけの表彰状をキチンとした額縁に入れて社長の辻義文氏(2007年死去)に届けたそうだ。この時に日産の広報担当者が辻さんにどんな説明をしたかは分からないが、大変に喜んで表彰状を社長室に飾ったと聞いた。

1994年当時に日産の社長だった辻義広氏(写真中央、いちばん左が筆者)

ここで予想していなかった出来事が起きた。自動車業界では年末年始にトヨタ自動車と日産自動車がそれぞれ社長会見を行うのが恒例となっていたのだが、日産自動車の社長会見の席で辻さんが自工会版カー・オブ・ザ・イヤー受賞の話を持ち出して、「自工会クラブの記者の皆さんにお礼を言いたい」と話し出してしまったのだ。しかも「クルマの専門家ではない素人の皆さんが選んでくれた賞だから価値がある」とまで口を滑らせてしまった。

しばらくしてあるフリージャーナリストが私を訪ねてきた。用件は「自工会版カー・オブ・ザ・イヤーについて話を聞きたい」ということだった。しばらくは自工会クラブで一緒に机を並べた仲間なので大まかな事情は説明したが、選考結果などの情報は話さなかった。

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