幼い天子は国家の発展とともに、偉大な天皇になっていった。
明治天皇は崩御するとすぐに、「明治大帝」と名付けられた本が刊行された天皇であった。大帝という言葉には、国民が抱く、近代国家の君主としての畏敬の念と、明治になって発展した国民自らの矜持が感じ取れる。
江戸時代の天皇は、庶民にとってはその存在がなんとなく知られている程度であり、武士をはじめとする知識階級にとっては、文雅の人、あるいは祭祀をつかさどる存在であったろう。
日本の近代は幕末、外圧によって始まった。外国の脅威に対抗するために日本らしさが考えられ、「天皇による統治の継続」が発見される。幕府の対外政策が批判され、天皇が将軍に政治を委ねたという大政委任論が強まって、天皇と朝廷の政治が望まれた。幕府を倒した新政府は、天皇中心の政府、天皇が親政を行う政府であることが求められた。
しかし江戸時代の天皇はあくまでも京都の文雅の存在であった。そのあり方を変えなければならない。新政府の大久保利通は、鳥羽伏見の戦い(1868年)の後、宮中に閉じこもる天皇から人々の前に現れありがたいと思われる天皇への変換を、いち早く唱えた。
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