天皇は1945年、終戦の実現に向けて動き出す。知られざる終戦構想。
昭和天皇は、いわゆる大東亜戦争について、早期終結を強く望んでいた。しかしその実現には困難が伴った。戦局の推移や外交上あるいは内政上のさまざまな条件が整わなければ、和平交渉につけないからである。
昭和天皇の終戦構想は2つの段階に分かれる。①一般的希望段階(42年~45年6月)と②具体的実行段階(45年7月~)である。
ではなぜ一般的希望段階に長期間とどまったのかといえば、終戦の阻害要因が大別して4点存在したからである。
①連合国側の無条件降伏主義、②国際的な「信義」の問題、③天皇としての「情義」の問題、④天皇、その側近、重臣たち(元首相)が共有していた「恐怖」である。
最大の阻害要因は①であるが、まず②以下について述べる。
②の信義とは、国際条約の順守に関連する。41年12月開戦と同時に日独伊単独不講和協定が締結された。3カ国が、それぞれ単独で連合国側と講和しないという協定である。
開戦前の御前会議で、日本が米英との戦争に突入した途端に欧州で和平が実現するおそれなしとしない、との懸念が枢密院議長などから示され、締結に至った。日本側の対独伊不信が理由であった。この協定のある限り、日本としては連合国側との講和はできない。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら