大元帥として戦争を指導した昭和天皇。そこには国家としての欠陥もあった。
日中戦争、アジア太平洋戦争において、軍部の独断専行に心を痛めつつ、最終的には1945年の聖断によって戦争の終結をもたらした──。一般的にはそう理解されている昭和天皇だが、それは本当だろうか。

昭和天皇(1901〜89年)戦前は「君主」として、戦後は「象徴」として、異なる役割を担った。写真:陸軍大演習での昭和天皇。明治憲法下では軍部を統率する大元帥だった(毎日新聞社/アフロ)
昭和天皇は戦局によって濃淡があるものの、戦争中、陸・海軍の作戦を積極的に指導している。本稿では、昭和天皇の戦争指導について事実を提示し、国家のシステム上の問題点を考えてみたい。
明治以降、アジア太平洋戦争の敗戦まで、天皇は日本軍の総司令官=大元帥であり、統帥権(とうすいけん)を有していた。大日本帝国憲法には、第11条に統帥権(軍隊を指揮・統率する大権)、第12条に編制権(軍隊の組織・規模を決定する大権)が定められていた。
ともに天皇の大権だが、慣習的に統帥権は内閣の介入を許さず、天皇に直属する参謀本部(陸軍)と軍令部(海軍)の軍令機関のみが補佐するものとされていた。これを「統帥権の独立」という。一方、編制権を含む天皇の国務大権は、内閣が補佐し責任を負うものとされていた。
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