電池技術者“争奪戦” 世界が獲得に血眼!

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 米国中西部のインディアナ州に本社を置くリチウムイオン電池製造ベンチャー、エナデルにもソニー、パナソニックなどから来た日本人技術者が複数勤務している。自身も日立化成工業で電池技術者として働いた経験がある太田直樹・エナデルCTO(最高技術責任者)は、「日本の電池技術者にあって欧米の技術者にないもの、それは経験と勘だ」と断言する。04年の会社立ち上げ時に、資本提携先である伊藤忠商事の紹介で20人近い電池技術者が日本から同社へ渡り、量産体制の構築に尽力した。11年1月には2・4億ドル(約200億円)を投じてインディアナ州に新工場を建設。スウェーデンの電気自動車メーカー、シンクに加えて、ボルボにも電気自動車用リチウムイオン電池の供給を計画する。

韓国のサムスングループは、おそらく海外企業の中でこれまで最も熱心に日本の技術者を取り込んできた会社だ。豊富な資金力を生かした同社の情報収集力はすさまじい。「サムスンは『この会社のこの部署にいるA氏が欲しい』、とかなりピンポイントに人材探しの依頼をする。どうしてそんな情報まで把握しているのか」(電池に詳しい人材コンサルタント)と、専門家ですら舌を巻く。

垂涎の的の日本人技術者 国内外で1・5倍の給与差

10年5月まで三洋電機モバイルエナジーカンパニーの統括部長として働いていた雨堤(あまづつみ)徹氏(現Amaz技術コンサルティング代表)も、サムスンからの勧誘は特に多かったと振り返る。「退職までに4~5回は会った。電話だけも含めると最低10件は受けたと思う。当時の年収の2倍でオファーされたこともあった」(雨堤氏)。熱烈なラブコールには理由がある。94年、兵庫県洲本市で三洋電機最初のリチウムイオン電池量産ライン立ち上げを担ったのは雨堤氏だった。95年には電池の外装缶を従来のステンレスからアルミに置き換える新技術を実用化。大幅な軽量化を実現し、三洋電機の世界シェア向上に大きく寄与した。まさに三洋電機のリチウムイオン電池事業の発展の立役者ともいえる存在だからだ。雨堤氏は結局、引き抜きを断り続けたが、高額のオファーに引き寄せられてサムスンに渡った当時の技術者仲間も少なくなかったという。

こうした技術者を、しばしば日本の技術を流出させる“戦犯”と非難する向きもある。しかし本来、自分をより高く評価してくれる会社に転職するのは自然な判断である。本当に問われるべきは、日本企業が技術者を適切に評価し、モチベーションを高める労働環境を提供できているかどうかではないか。

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