常見 なぜですか?
清水 自分が10代の時には、クレージーキャッツやドリフターズがいたし、赤塚不二夫のマンガがありました。昭和40年代には「誰もが流行語だと思える強烈な言葉」がいくつも生み出されていたからです。
常見 圧倒的な流行語を思春期に体感してからこそ、相対的に流行語であるとは思えなかったわけですか。
「流行語大賞」は、実は「国民的流行」が一段落した後にはじまったものだとは知りませんでした。
テレビカメラはゼロ台!当初はまったく話題にならず
清水 そうなんです。「国民的流行」と言われる現象が終わってから始まったのです。
常見 ちょうど、博報堂生活総研が「分衆」というコンセプトを打ち出したのも、その後くらいでしたね。
清水 だからそのころ20代だった私の目線からすると、的外れな取り組みに見えて、こりゃあ長くは続かないだろうな、と思っていました。
常見 それが31年も続く、年末の名物イベントになっているわけですね。
清水 はじめは取材にテレビカメラが1台も来ていなかったですし、新聞関係の取材陣も現在の3分の1以下でした。翌朝、第1回の記念に残そうと思って、新聞で記事を探してもなかなか見つかりませんでした。
常見 えっ。それは意外です、今の人気からは考えられませんね。今のような規模で話題になるターニングポイントはあったのですか?
清水 報道が増えたと感じたのは、始まってから10年たった1994年ごろからです。それ以前にも土井たか子さんのような人気のある政治家が授賞式に来てくださるようになって、報道陣が増えましたし、1991~1994年ごろにはおいしい言葉が揃ったので、注目度が上がりました。
常見 それぞれの大賞が1991年「・・・じゃあ~りませんか」、1992年「きんさん・ぎんさん」、1993年「Jリーグ」。始まってから10年で、「流行語大賞が何だかおもしろそうだ」という評判が広がっていったということではないでしょうか。
清水 取材はだんだん増えたのですが、私たちは何か手を打ったわけでもなく、ただ同じことを繰り返しているだけです。大金を投入して盛り上げるようなことはいっさいしていません。おかしなもので、「勝手に世の中が盛り上げてくれている」というのが運営側の実感です。
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