集団意思の反映としての機会の不平等、格差拡大
評者 福山大学経済学部教授 中沢孝夫
かつて、頑張ろうとする意思があれば、努力の余地があり、またそれを可能とする健全な地域社会があり、「機会」は公平に開かれている、と信じられる米国があった。しかし本書が描く1950年代から今日までの60年間の時間の経過は、豊かな者と貧しい者が暮らす地域を明瞭に分離し、前者は湖畔にゴルフコースのあるゲーテッド・コミュニティで暮らし、後者はドラッグ、犯罪、刑務所への出入り、売春などが日常の地域で暮らす。それぞれが生まれ育った場所で仲間入りする。つまり階層間の移動が閉ざされたのだ。
本書はこうした格差が形成された現代の米国を、貧しい子どもと金持ちの子どものライフストーリーを中心に、たくさんの人物からの詳細な聞き取りと、各種のデータを背景にして描いた、壮大な社会関係(資本)論である。
たとえば、8年間の教育のみだった父親が、昼と夜に2カ所の職場で働き、子どもは大学を卒業し、地域の教会の牧師として生きることが可能だった50年代。そして60年代もまだ社会階層間の移動が可能だった。むろん、高学歴を目指すことなく、炭坑や工場で働き、労働組合を結成し、仲間たちとの日々を生きることもできた。それはロータリークラブなどと同様の健全な中間団体だった。そうした活動に支えられた地域は「子ども」を「われら」のものとして、助言や奨学金によって支援する場でもあった。
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